九月は名曲が似合う季節

 お久しぶりです。9・11なのですね。思えば、あのあたりから、世界の潮目が変わったのかも、なんて思います。
 そして日本は、災害・災害に明け暮れる“夏の終わり”になっています。
 災害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。
 前にも書いたことがあるのですけれど、日本のほんとうの季節の変わり目は、1月・5月・9月。ワタシはそう思っています。実際に、5月にはもう夏が来て、9月になったら朝晩急に涼しくなりだして、でも本格的に寒くなるのは年が明けてから。もう日本には四季なんてないように思えるのですね。
 そんなわけで、なぜか気づけば色々ともの想いに耽ってしまう、9月。今回は、そんな9月にちなんだ名曲たちを集めてみました。
まずは洋楽から。1979年のヒット曲でタイトルはずばり「September」。アース、ウィンド&ファイアです。

そういえばEW&Fの顔でもあったモーリス・ホワイトさんも、もう鬼籍に入られたのでしたよね。
続いて国産「September」と言えば、この方。竹内まりやさん。この曲も1979年でした。名曲です。

まだ“アイドル期”にいたまりやさん、この曲も詞が松本隆さん、曲は林哲司さんで、聖子さんに共通する布陣でしたね。
聖子さんも1980年のデビュー・アルバム『SQUALLSQUALL(DVD付)で「九月の夕暮れ」という、ビックリするようなベタな歌謡曲を歌っていまして、動画があればここでも紹介したかったのですが・・・。
次は、こちら。「すみれSEPTEMBER LOVE」。個人的にはオリジナルの一風堂が好きだったのですが、90年代にリバイバルヒットしたShaznaバージョンでご紹介します。こちらの方がもしかしたら知っている人が多いのかしら。

さて、大御所ユーミンの登場です。九月の曲を結構作っていらっしゃいまして。この曲は1978年のアルバム『紅雀』に収録された、もろ九月のイメージにぴったりな感傷的な曲です。「9月には帰らない」。

あと、ユーミンは1991年の『DAWN PURPLE』DAWN PURPLEというアルバムに「9月の蝉しぐれ」という、これまたセンチメンタルな名曲を残してくれています。
9月&センチメンタルといえば、やはりこの曲は外せません。太田裕美さんの代表曲の一つで、筒美京平メロディーの金字塔、とワタシは思っています。1977年9月の秋を彩った名曲「九月の雨」。

太田さんは紅白の動画でした。喉を壊していた時期で見ていてちょっと辛いですが、それでも健気に歌い上げています。
そして、実はこの人こそが太田さんフォロワーだったということに軽い衝撃を受ける動画がこちら。久保田早紀さん「九月の色」。

久保田さんのこの曲、1980年9月発売、最高位は51位でした。この成績もなんだかアイドル後期の太田裕美さんっぽくて。その後、エスニック&テクノ路線に走るあたりも、久保田早紀さんと太田裕美さんは実は共通点があるのです。
さて、続いてもライヴァル同士?の9月の曲を2曲。まずは小田さん率いるオフコース。1981年の大ヒット「I LOVE YOU」です。歌詞の中に「九月になれば」というフレーズが出てきます、秋の静けさに満ちた傑作。

迎え撃つは財津和夫さん率いるチューリップの「セプテンバー」。こちら、1972年のシングル「銀の指環」のカップリング曲なのですが、一度聴くだけで「あ〜イイ曲」と言える、知る人ぞ知る名曲です。

 何かと感傷的になりがちなこの季節。最後を締めくくるのは、スタンダードなこの名曲。「September Song」、シナトラのダンディーな歌声です。

では、また。

SEIKOの夏、日本の夏〜SEIKO MATSUDA Concert Tour 2018〜


 hiroc-fontanaにとって、正直、2018年の夏は、太田裕美さんの東西・2WEEK・ソロコンサートですべてが終わっていたと思っていたのよね。
 内輪ネタを含めて「自分の言葉」で楽しいトークを挟みながら全曲をナマ歌・原曲キイで聴かせてくれる太田さんのコンサートを2週にわたって堪能したワタシにとっては、この夏の最後にセイコたんのコンサートが控えていることはわかりつつも、近年あまりにパッケージ化が進んでしまったセイコのコンサートに行くことは、どこかノルマ的な感覚のものになりつつあったのかも知れない。
 夏だから!みたいな。
 
 会場に到着。武道館の西側、2階席。ほぼ最上段に近い場所で、ステージを真横から見下ろすような感じの席につくと、会場全体が見渡せる感じ。太田さんの時も感じたのだけれど、会場を埋め尽くすファンの年齢層を見て、改めて自分という人間がどんな位置づけにあるのかが、わかる。
 ヘッドフォンで太田さんやセイコさんを聴いているとき、ワタシは10代だったり20代だったり、タイムマシーンで年齢を飛び越える存在になっている。そして裕美さんや聖子さんの歌声はたぶん、ずっと、20代の頃のまま。Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)
 でもね、いざこうして夢のステージを前に、観客席という「現実側」に身を置くワタシは、50代半ばのリッパなハゲのオッサンで、回りのファンを見れば、Tシャツに短パンで若ぶっていてもやっぱり冴えない白髪頭のオジさんや、一生懸命オシャレしているけれどアゴのあたりに生活の疲れが隠せないオバさまが大多数で。。。
 そう、聖子たんももはや、「ナツメロ」なのよ。結局は。
 こんな現実をヒシヒシと感じながら、果たしていつもの“お伽の国のセイコたん”のステージを本当に楽しめるのだろうか・・・。ワタシはそんなことを考えていたのだ。きっと、疲れていたのだと思う。
 Seiko Matsuda Concert Tour 2017「Daisy」(初回限定盤)[DVD]そんな中、会場が暗くなり、恒例のセイコ・コール。ステージが始まり、聖子さんが舞台セットの2階中央に登場し、ゴンドラで1階に降りて、といういつものパターン。1stステージはニュー・アルバムからの曲を続けてパフィーマンス。今回はダンスがとてもキレがあって(口パクだけど)、セイコさんもとてもお元気そう。よかったわ。
 そして、2ndステージも恒例、アコースティック・コーナー。ナマ歌とナマ演奏で頑張るコーナーね。いつもはここでレア曲の演奏があるのでちょっぴり期待もあったのだけど、セイコたんの声があまり調子が良くなかったように感じたうえ、
「この曲、キイを下げ過ぎじゃね?まるで、別な曲になっとるわ!」
「ちょっとさ〜、歌の途中で客にマイクを向け過ぎじゃね?アタシは客の合唱を聴きに来たんじゃねーわ!セイコたんの歌を聴きに来たんじゃ!」
などど、心の中でなぜかセイコたんへの罵声が止まらずで(苦笑)、どうも、楽しめなかったのよね。。。ワタシ、疲れていたのです、本当に。
 でも。それが、途中から変わったのだ。コロッとね(笑)。
 なんと、この日のセイコたん、恒例のアコースティック・コーナーのアンコールに応えて、4曲も多く歌ってくれたのだ。「みんな〜、もう、いい加減にしてよ〜。」なんて言いながら、少し、嬉しそうに。そんなやりとりを見ながらワタシ、あ〜、だから聖子たん!好きなんだよ〜!と、思わず叫んだのだ。(もちろん心の中でね。)Seiko Matsuda Concert Tour 2017「Daisy」(通常盤)[DVD]
 そして、ダンサー紹介を挟んで3rdステージは(その間にそそくさとトイレに立つ妙齢の男女が多数。さすがだわ・・・)、お待ちかねヒットメドレー。会場も待ってましたとばかり、当然のごとくみんなでスタンドアップ。当然、私も。
 それでも最初は、アコースティックコーナーがあまりにセイコたんの声が冴えなかったゆえ、ヒットメドレーで一転、張りのある声で舞台を動き回るセイコたんに「きっと口パクよ!」とバカにしていたワタシ、途中で気づいたのだ。あ、観客にマイクを向けると、ちゃんとそのタイミングでセイコたんの声が聴こえなくなってるじゃん!って。そう、彼女、今回はヒットメドレーでもちゃんと歌ってくれていたのです(・・・ほとんどの曲を)。
 そんなこともあって、いつの間にワタシ、会場と一体になって、ひらひらと“夏の扉を開けて”、トゥエニース・パーリー!手を高く左右に振って、最後はセイコたんありがとう!これからも頑張って!と、手がちぎれんばかりの拍手を送っていたのでした。
 そう、結局はこうして年一回、“同世代の”セイコたんからファンは元気をいっぱいもらって、たのしかったわ〜、また来年の夏も会いたいわ〜と、それぞれの現実の戻っていく。そういうシンプルなハナシで。そうして世の中は成り立っているのだし、それこそが、大切なのかもしれないよね(ありがと、セイコたん!)なんて考えながら、ニヤニヤして家路につく中年ゲイがここにまた一人・・・。
(↓これ、秋に向かってまた楽しみがひとつ。。。)

Seikoland ~武道館ライヴ '83~ [Blu-ray]

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メモランダム20180805〜ワタシは「生産性なし?」。でも、人として、生きてます(笑)

 とある自民党議員が保守系雑誌に投稿したLGBTに関する文章が話題になっている折、火に油を注ぐかのごとく、同党の別の議員が、テレビで失言をしました。
自民・杉田氏寄稿に批判相次ぐ LGBT「生産性ない」
 →https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33618520R30C18A7PP8000/ 
LGBTに冷たい自民 謝罪、撤回求めず口頭指導
 →http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080302000146.html
 これがたぶん、“サイレントマジョリティ”の見解なのかもな?と思っています。ワタシ。
 彼らに対する党幹部の甘々な対応から見ても明らかですし、任期中に少しでも爪痕を残したい若手議員からすれば、保守ガチガチのいまの政権与党の中で認められるには、世論を騒がせるような(しかし政権のホンネにおもねるような)ことを投げかけて自己アピール・点数稼ぎをしたかったのでしょう。バカですね。とは言え、これは少なくない人達を喜ばせるホンネには違いないようです。
 ですからこのニュースを耳にして、私は「怒り」よりも「ガッカリ」という気持ちが大きかったです。
 「国民」の仕事を奪うとして移民を排除し、品物の安さが不公平だとして特定の国の輸入品に関税を上乗せする、どこかの国のおかしな大統領と同じだな、なんて。
 異物は排除して、自分たちの考える「純正なもの」だけの社会にしようなどという、狭量かつ偏向した考え方。
 私たちはようやく様々な経験を重ねて、この世界の「多様性」を知り、それを認めて共存していくことの大切さを学んできたはずなのに、その人類の経験をあえて否定しようとするのは、只の「揺り戻し」でしかないと私は信じているのですが、先日、ワタシの職場の管理職会議でダイバーシティの話題になったとき、「この(ダイバーシティの)動きは、いつ、沈静化するんだろうね・・・。」などという発言があって驚いたのですが(つまり一時の“流行”に過ぎないのだということを言いたかった模様。)、世のコンサバなオジサンたちは、もしかするとそんな意識のままなのかも知れません。やれやれです。
 まあある意味、今回問題発言をした議員たちのことも「それはそれでいいんじゃないですか?」として捉えるのが一種の「多様性」を認めることになるのでしょうから(「公人」の発言としては配慮に欠けますけれど)、今回の発言から今私たちがそれぞれ何かを感じ、考えていくことがより重要なことなのかも知れません。
******
 ちょっと話はズレますが、最近、こんなことを考えているのです。
 友情と、恋愛感情と、家族愛とは、何が違うのか?ということ。ワタシ、正直その違いがよくわからないのです。
 ここでは、ややこしくなるので例えば職場の同僚など「公」の付き合いの方は外すとして、「私」で付き合っている人たちは、少なくとも「好きだから」自ら交際しているわけで、そこには意識する意識しないにかかわらず「その人への愛情」や「その人を大切に思う気持ち」があるように思うのです。そしてそうした想いの強さと、同性か・異性か・親族か、という組み合わせの中でこれは「友情だ」「恋愛だ」「家族愛だ」と私たちは区別しているに過ぎないのかも、と。実は、その本質は同じものなのではないか、と。
 そして、多様化が受け入れられる中で、その組み合わせも多様化していて、それこそ『万引き家族』のように血縁関係は全くなくとも家族以上に家族愛に溢れた関係になることもあるでしょうし、異性間での友情が同性同士の友情を超えたものになることも良く聞く話です。ゲイの場合は、「友情」か「恋愛」かという分類さえ曖昧で、肉体的な関係を持ちながらも普段はあくまでも同性の友達同士として付き合い、そこから先の私生活の部分までは曝け出すことをしない、なんてことも普通のことです。ただそうした場合も「相手のことを大切に思っている」という想いが根底に無ければ、友情は成り立たない。それが無いと、いくら肉体関係があっても決して長続きしません。
 “はい。いま付き合っている人は、私と同性で、恋人であり、時に家族のようであり、そして大切な友達です。一言で言えば、「ワタシのとても大切な人」です。”
 この、一人の“ひと”として自然に感じていることを、感覚の違う第三者から「おかしい」とか「生産性がない」とか「趣味でしかない」とか言われたとしても、それでこの思いを変えられるわけでもないし、変える必要もない、ただそれだけのことなのでしょうね。

古今東西〜「太田裕美コンサート2018」レポ〜

心が風邪をひいた日 今回は、「太田裕美コンサート2018」と冠され、東京から京都、2週連続で開催された太田さんのソロコンサートをまとめてレポです。そう、ワタシ、贅沢にも両日参加出来ました。感謝カンゲキでございます。
 近年はコラボ形式のライブ中心の太田さん。その分マニアックな選曲が魅力のソロコンサートの貴重さは年々高まって、チケットは今回も早々と完売。某チケット流通サイトでは倍額以上で取引されたりしていてビックラこいたのだけど、実際、会場は両日とも妙齢の(?)男性ファンを中心に(女性ファンも年々増加中!)ぎゅうぎゅうの満席で、熱気(と加齢臭?・・・人のことは言えませんが(苦笑))に溢れていたし、まさに「プラチナチケット化」していることが肌で感じられたのだ。
 今年は、7/22の東京公演が恵比寿ザ・ガーデンホール、7/28の京都公演は京都劇場と、2回とも太田さんとしては初めての会場で、特に京都劇場の方は久々の1000人規模の会場ということで、結婚休業以降一貫して小さめの会場で手作り感満載のコンサートを続けてきた太田さんとしては、今年は明らかに何か一つ「突き抜けた感」があったように思えた。

 その「一段突き抜けた」という感覚、ホールの大きさや音響はもちろん、今回久しぶりにバックにドラムス(楠均さん)が加わってサウンドが確実にグレードアップしたことがまず、ひとつ。しかし何よりも大きかったのが、またもや太田さんのボーカルが奇跡のように進化を遂げたこと、それに尽きる気がするのね。
 進化した太田さんの声。大きめのホールの隅々までファルセットが響きまくり、時おりの微妙なウィスパー表現も、マイクにニュアンスがしっかり乗ってファンの耳に届くようになった。本当の意味で、その声一つで1000人近いオーディエンスを魅了する、オンリーワンのシンガー・太田裕美がそこにいて。時に歌詞を間違えたり、音程がフラットになったり、そこは相変わらずナンチャッテな太田さんも勿論健在ではあるけれど(そんな自然体こそが太田裕美の魅力でもあるわけだけれど)、そこに本来の声の魅力が120%加わった感のある今の太田さんは、まさに奇跡(経歴ウン十年にして・・だからこそ余計に)、そう思えたのだ。
 ******
 さて、今回の2公演。セットリストはほぼ同一で、途中のトーク内容も題材的には同じだった訳だけど、2週連続での参戦はさすがにダレるかもと、私自身、当初は危惧していたものの、いざ2回目の京都では、却って太田さんの素晴らしい歌そのものに集中できたりして、両日ともにそれぞれの楽しみ方で楽しめた、そんな感じ。
 ではいつもの通り、両日のセットリストと恒例の太田さんの楽しいトークを振り返ってみます。(なお今回、特に片方の公演だけで見られたトーク内容や曲に限っては一応、「(T)=東京公演」、「(K)=京都公演」と分けて記しています。)

☆オープニング BGM〜銀河急行に乗って(リプライズ)〜
(中央スタンドマイクに太田さん登場。白いブラウスに水色のミモレのスカート。すごく似合っていて可愛い。スカートから覗く足がとてもキレイなのにもビックリ。)
1.タイムマシーン(2014・AL『tutumikko』)
(♪タイムマシンに乗って〜のフレーズで腕をグルグルと回す振り付けがチャーミングでした。)
2.銀河急行に乗って(1975・AL『心が風邪をひいた日』)
〜(K)タイムマシーンと銀河急行に乗ってスタートして、1975年まで戻っちゃいました(笑)。
〜今回は真夏のコンサートということで、夏の曲をたくさん歌わせて頂きます。今日は、色々な私が出てきますよ。裕美ちゃん、裕美さん、裕美くん、裕美さま、と(笑)。
〜先日、Rolly寺西さんのコンサートにゲストで呼ばれて、Rollyさんが作詞してくださった、この曲を歌わせてもらいました。私のコンサートでは初めて歌います。
3.瞳のウフフ(1999・AL『Candy』)
(イントロで小さな鉄琴を叩く太田さん。)
4.南風(1980・17thSG)
5.心象風景(1977・AL『こけてぃっしゅ』)
(余りにもすばらしい歌声に、思わず白昼夢に引きずり込まれてしまったワタシ。)
〜ピアノ弾き語り〜
6.夏風通信(1977・AL『こけてぃっしゅ』)
〜当時のレコーディングは結構なハイペースで忙しかったのですけど、制作前のリサーチのような形で、筒美先生や松本さんが時間を割いて色々と話を聞いて下さったりして、楽しかったのを覚えています。その中で「今どんな曲を聴いているの?」と筒美先生から訊かれたとき、当時大好きだったオリビア・ニュートン・ジョンの「ヒム」(←太田さん、正確には「SAM」ですよ・・。)という曲のことを話したら、筒美先生が同じイメージのとても素敵な3拍子の曲を作って下さいました。それが「夏風通信」で、今も大好きな曲です。
7.袋小路(1975・AL『心が風邪を引いた日』)
☆メンバー紹介
 おそらくパシフィック・ビーナス号の船上ライブ関連の話。メンバーで利尻島に行ったときのエピソードで、唯一利尻に行ったことがある岩井さんがガイドとして大活躍した話や、西海さんは船内でもずっとビールを飲み続けていたので、プリンマン(?)として紹介(会場、(笑))。一方ドラム・楠さんは1983 年以来のセッションとのことで、その時代(テクノ時代)を太田裕美の「黒歴史」として自ら紹介し、会場はまたも爆笑。((K)でもその後ツイッターでファンから「自分はあの時代の曲に救われたので、「黒歴史」なんて言わないで欲しい」と呟かれたエピソードも紹介。)話の流れで次の曲は楠さんがメンバーでもある「くじら」の作品を演奏。
〜ギターを手に〜
8.ランドリー1984・AL『TAMATEBAKO』)
9.満月の夜君んちに行ったよ(1983・20thSG&AL『I Do,You Do』)
〜(K)このアルバムでは大人の童謡のようなコンセプトで曲を書きまして、私の息子たちもこの曲、好きと言ってくれて一緒に歌ってくれたりしましたね。子供に向けて、みたいな気持ちもあったのかしら?いやいや。(・・と独りごちる太田さん。)以上、ここでは「裕美くん」を出しました(笑)が、次は「裕美さん」的な大人っぽい曲をお送りします(微笑)。
10.Summer End Samba(1978年・AL『エレガンス』)
(ピアニカ演奏。イントロでのピアニカから息つぐ間もなく歌い出す太田さんがナニゲにスゴかったです。)
11.nenne(1978年・AL『海が泣いている』)
〜(K)『海が泣いている』は、「ロスアンジェルスで録音すると音が乾いた感じになって、ジメジメした日本でレコーディングしたのとは全然違う音になるんですってよ」(笑)とかテキトーなことをレコード会社に言って、結局はご褒美みたいな形でロスでのレコーディングが実現したんです。約15日間の録音期間(←こんなに短かったとは、初耳!)で、もちろん頑張ってオケ録りもしましたけど、ディズニーランドとかもちゃっかり遊びに行きました(笑)。
(ここで、初めて太田裕美のコンサートにいらっしゃった方は?と会場に質問を投げかける太田さん。(T)では「42人くらいかしら?」。(K)では「やっぱり会場が大きいから、初めての方も多いみたいですね。87人くらい?」。)
〜ここまで、色々な太田裕美を知って頂けたとは思いますが、初めての方はあまり知らない曲ばっかりだったかも知れませんね、次からは皆さんの知っている曲を歌います。
〜ピアノ〜
12.赤いハイヒール(1976年・6thSG&AL『手作りの画集』)
〜スタンドマイク〜
13.※日替わりメニュー(1)
T)僕は君の涙
(1998年・AL『魂のピリオド』)
K)九月の雨
(1977年・9thSG&AL『こけてぃっしゅ』)
14.木綿のハンカチーフ(1975年・4thSG&AL『心が風邪を引いた日』)
〜次は、新しい曲を歌います。去年の7月に録音して、8月と9月の朝ドラの劇中歌として流れた曲です。ドラマが昭和を舞台にしているのでディレクターが「昭和のラブソングを歌うとしたら太田裕美だ」と言うことで声を掛けて頂いたようです。デビューして長い年月を経て、いまだに新しい曲、それもラブソングを歌わせて頂けるというのは、本当に嬉しい、歌手として幸せなことですね。〜(K)でも平成ではなく昭和だから、ワタシって・・・(←自虐?)もうすぐ平成も終わっちゃうし、まあそれでもいいか(会場、笑)。
〜ピアノ〜
15.恋のうた(2017年・ALサントラ『ひよっこ』)
16.恋愛遊戯(1977・8thSG&AL『こけてぃっしゅ』
17.ひぐらし(1975・AL『心が風邪を引いた日』)
(いつになく説得力あるニュアンスボーカルを披露しながら、最後はスタンディングでピアノを連打する、ノリノリの太田さん。ちなみに♪京都に着くわ〜 の後の叫び声は、(T)「次は京都!」、(K)「ここは京都!」。)
☆アンコール。メンバー全員、オリジナルTシャツで登場。
〜ピアノ〜
18.※日替わりメニュー(2)
T)魂のピリオド
(1998年・AL『魂のピリオド』)

K)七つの願いごと
(1975・AL『心が風邪を引いた日』)
〜(K)(7/28京都は関西に台風が接近する中の開催。)今日は、白川さん、そして天国にいる大瀧さんの誕生日なので、どうしてもコンサートがしたかったんです。「ハッピーバースデー!!」(と叫んでラス曲へ。)
〜中央スタンドマイク〜
19.さらばシベリア鉄道(1980年・19thSG&AL『12月の旅人』)
(☆京都会場では、会場全体がスタンディングで太田さんに応える。よかったですわ。)
(EG&B&Per:岩井眞一、AG:西海孝、Drums:楠均)

 さて、今回の怒涛の連チャンコンサートでのhiroc-fontana、本文にも書いたような「太田裕美の新たな1ページ」を感じながらも一方ではやはり、例えば東京のアンコールで「魂のピリオド」のイントロが流れたときや、京都で「夏風通信」の歌声に浸っていたとき、まさに自分の中の様々な思い出の場所にタイムマシーンに乗って訪れている自分がいて、いつの間にやら涙が頬を伝い、指でそれを幾度となく拭わざるを得なかったのでした。
 太田さんはいつも、「今もこうして歌い続けられることに、感謝している」と言われるけれど、ワタシこそ、あなたが今も変わらず素敵な声で歌い続けていてくれることに感謝せずにはおれないのです。そんなオンリーワンな歌手のファンの一人として生きて来られたワタシこそ、幸せだな〜と、しみじみ思わされた2週間でしたわ。

メモランダム2018.7.16

  • 自然災害の時代

 このたびの豪雨災害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。

 実はその一週間前に私、用事があってとある甲信地方の観光都市に向かう途中、乗っていた電車が豪雨の影響で立ち往生するハプニングに見舞われまして、ああ、今はそういうことがいつでも起きる時代なのだ、と改めて思い直したばかりでしたので、この災害をとても他人事に思えないのです。
 夜21時、辺りは真っ暗な中、単線の田舎駅に停まったまま動かない電車。滝のように降り続く雨が、車窓を強く叩いては砕け、時おり稲光に照らされながらガラス窓を流れていくのをぼんやり眺めながら、ただ次の展開を待つばかりだった私。そのなんとちっぽけな、心もとない存在であることか。考えていたのは「できることなら早く雨が止んで、平常に戻って欲しい。」ただそれだけでした。
 結局そこに小一時間、停まっていたでしょうか。その間にローカル線の車内放送で得た情報は、乗っている電車はこの先の途中駅止まりとなり、私の目的地である終点駅までは運転されなくなったこと。そして、その駅で切符の払い戻しがあること。それだけ。
 この先の雨の状況はどうか、途中駅で降ろされる我々はどうすれば良いのか、そうした「サバイバル」(!)のための情報は一切なく、「あとはそれぞれで何とかして下さい」と言わんばかりの対応で、本来であれば乗務員に詰め寄りたい場面ではあったのですが、そもそもは天災であって、乗務員も混乱している様子が明らかでしたので、そこは諦めざるを得ませんでした。
 そしてようやく電車がノロノロと動き出したころ、山奥ながら携帯は通じましたので、泊まる予定だったホテルのキャンセルと、今日泊まる場所を探すことに必死なワタシがいました。そして、豪雨の状況、様々な警報が周辺地域に出されていることもスマホのニュースサイトで初めてわかってきました。まさに、スマホ大活躍。いまや、スマホは生きるための必需品であると言わざるを得ません。
 近年の災害は、「情報弱者」が「災害弱者」でもあると言われています。たとえば自治体や鉄道会社の人々がいくら防災訓練を受けていたとしても、多くの場合は自分と同じく、実際の危機的場面は彼らにとっても「初体験」であると考えざるを得ないでしょう。だからこそ自分がサバイバルするために必要な情報は、上から降りてくるのを待つのではなく自分から取りに行かなければならない、ということ。実際に世の中、効率化(=人減らし)の流れに乗って、どんどんそういう方向に進んできているような気がします。
 まあたしかに、考えてみればメディアなど存在しない時代には、大災害があったとしても生き残れるかどうかは、すべてはその人の「運」や「勘」だったのでしょうけれども。
 でも本当に、それで良いのでしょうか。。。
 近年、毎年のようにどこかで大災害が起きています。そして残念なことに多くの方が亡くなっています。
 そんな未曽有の時代を迎えているこの国で、本来であれば防災に向けての知識と対応力は年々社会に蓄積され、減災へと向かっているはずで、実際にそうした取り組みは少なからず進んでいるにも拘らず、それ以上に気候変動、地球の変化のスピードが早く、それに社会が追いつけていないのではないか、そんなことを感じています。
 2020年のオリンピック開催を前に浮かれている場合ではないでしょう?と思えてならない今日このごろです。
 

  • 終活とは

 ワタシ、ちょっと思うところがありまして実は今年に入ってずっと「終活」を念頭に過ごしてきました。そう、人生の終りを見据えていく、生き方です。残念ながらまだまだその本質はほとんどつかめていないのですが、今回、災害に遭いまして(幸い命に係わる切羽詰まった状況では無かったわけですが)、初めてわかったことがあります。
 「終活」している自分。そんな自分が、いざ緊急事態に遭遇したとき、必死になって一晩身を寄せるための宿を探しているわけです。それも、「必死」どころか、「嬉々として」。
 そこには、「どう転んでも、この身ひとつ。なるようにしかならない。」と、どこか運を天に任せるような気分になれることを、むしろ楽しんでいる自分がいたのです。とても自然に。無意識のうちに。スレスレの非日常を楽しんでいる自分が。
 つまりは、いずれ迎える死(天の時)を前にして、その時までは自分なりに「生き延びる」選択をしていくこと、それこそが、終活(幕引きに向かう生き方)なのかもしれない、なんて。
 今回、そんなインスピレーションを頂けたことに感謝して、もうしばらくこの命につきあってみよう、なんて、今頃になって考えているのです。 

セイコ・アルバム探訪2018〜『Merry-go-round』

goo辞書によると、merry-go-roundとはこんな意味。

1 回転木馬,メリーゴーランド(carousel,carrousel)
2 (社会生活・事業・出来事などの)急旋回,急転回
3 転車台(turntable) (米鉄道俗)
4 目が回るほど忙しい仕事[場所など](米俗)

 今回のCD付属のDVDで聖子たんのお言葉によると、merry-go-roundとは、こんな感じ。
“Merry”は〜、しあわせだとかぁ、楽しいだとかぁ、そういう意味。“Go”は〜、前にぃ、進んでいくぅ〜?という意味で。“Round”ていうのは〜、回りを見ながらぁ〜、楽しみながら進んで行く、とゆうような。そういう意味を込めて〜、このアルバムを〜、つくりました・・。
 おいおい聖子たん、本来の意味の2番目(急転回)とか4番目(目が回る忙しい仕事)の方が、あなたらしくて面白いでしょうよ!(ググったばかりの付け焼刃の知識で「実は“急旋回”という意味も込めたタイトルなんです」なんてドヤ顔で宣言しても良かったはずなのに!)なんてツッコミたくなるのだけど、裸の女王様・聖子たんはそんな風に、ガラにもなくトンガッたアーティストスタイルを装うことなど端から眼中になく、今回も、メルヘンチックで夢に溢れ、お花が咲き乱れている、いつもの“聖子ワールド”を頑なに貫かれております。やれやれ。
 とはいえ、今回のアルバム、キャッチコピーにある「独創的なサウンドアレンジでSEIKOワールド全開のオリジナルアルバム!」とある通り、サウンド的にはかなり力を入れて作られた印象で、悪くないです。アレンジャーの二人(野崎洋一氏・松本良喜氏)はここ数年のレギュラーながら、今回は確かにアレンジで各曲、様々なチャレンジを見せてくれていて、アルバム全体が変化に富んでいて良い流れが出来ている感じ。
 いわゆる「キャリア●十年の大御所」の新作アルバムと言えば、みゆきさんにしても、ユーミンさんにしても、聴いた当初は「ああ、やっぱりこの世界よね・・・」という、変化のない“いつものサウンド”であることへの多少のガッカリ感と、一方では圧倒的な安心感で、何となく聞き流してしまったりすることが多くなっているワタシ。でも同じように聞き流していているうちに、突然ある一曲だけが、ガーンと胸に響いてくる瞬間があったりして、そこが大御所ならではの楽しみだったりする。
 同じ大御所でも、セイコさんの場合は最初から「ガッカリ」が前提であって、“果たして今回は10曲中何曲、あるいは何分(笑)、新しい聖子(またはかつての輝く聖子)が登場するのか?”という聴き方になってしまったりするわけで。だから実は、同じガッカリではあっても毎回、最初の1回目の試聴ではワクワクさせられてしまうのが聖子さんなのだよな〜、なんて。今回の『Merry-go-round』は、そんな意味では、オープニング曲のイントロから少し毛色が変わっていたこともあって、聴きながら本当に久々の“ワクワク”が蘇って嬉しかったのは確かで。
 まあ聖子たん本人はと言えば、頑張ってはいるものの、詞とメロディーのマンネリ感はどうしようもなくて、つくづく「音楽の決め手って、アレンジだよな〜」と思わされた作品だったりもする。
 久々にアマ●ンの評価も上々、オリコンデイリーチャートも好調な推移で、聖子たん、ますますセルフに自信つけちゃいそうですわ。

Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)

Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)

(※以下、カッコ内クレジットの作詞・作曲は全曲:松田聖子

  • I am dreaming,dreaming of you(編曲:野崎洋一)

 まずは突然の聖子たんの多重コーラスでスタート。やるわね、野崎くん。ノックアウトだわ。おまけにエイトビートを細かく刻むベースがカッコいいじゃない!セイコさんもウィスパー気味のボーカルからサビは得意のイングリッシュ畳みかけで、いつになくノッてる感じ。間奏のスキャット・コーラスもなかなか。このアルバムはこの1曲目の成功がすべてかも。

  • Merry-go-round(編曲:野崎)

 続いてもアップテンポの、タイトル曲。あら、またイントロで聖子たんの多重コーラス・・・。でもこちらはブラス入りの煌びやかなサウンドで、まさにメリーゴーランドの世界。歌詞は意味不明な(笑)英語の中に所々、日本語が入る構成で、今の聖子さんにはこんな構成の曲の方が合うみたい(日本語の語彙の貧困さからしてもね・・苦笑)。「♪まるでMerry、そうよgo-round、心 Up Down 揺れているのよ」。そうよ、セイコさん。本当はこのアルバム、Up Downの人生に例えたかったのよね、きっと・・・。(と、ファンならではの温かい解釈。)

  • 両手広げ空を仰ぎ(編:野崎)

 なんだかマイラバみたいなアレンジ。この3曲目まで、アップテンポのポップスが続くのだけど、アレンジの変化で聴いてしまう。ほとんど8分音符で構成されたメロディとタイトルまんまの詞世界は陳腐で既視感たっぷりだけどね。

 こちらはどこを切ってもいつもの聖子バラード。詞もアレンジも全体のコード進行まですべてが、いつもの聖子バラード。嗚呼、いつもの聖子バラード。えい!スキップ!と言いたいところ、冒頭で「♪そんな優しい瞳で見ないで」「♪あなたを愛しているわ」と声を掛けたりでアツアツな「あなた」に、2コーラス目では唐突に「♪きっともう一度逢える」と言ってのける主人公の“急転回(Merry-go-round)”っぷりに、ついつい謎解き気分で最後まで聴かされてしまうワタシ。とほほです(笑)。

  • 永遠の愛で 変わらない愛で(編:松本)

 PVでは風に吹かれながら公園サイクリングの聖子たん。まさにそんな印象のカントリー・テイストのフォークソング。聖子たんには珍しいタイプの曲で、なかなかの出来。サビのキメフレーズが「♪あなたは 空」から「あなたは風」→「〜夢」→「〜希望」とコーラスごとに変わっていく構成も、聖子たんにしてはよく考えたな〜、と(ホントはこうした詞の作り方が、フツーなんだけどね。苦笑)。不要に長いタイトル以外は(苦笑)良質のポップスに仕上がってます。

 聖子たん、アルバムを作りながら夏コンのステージ構成も考えているそうで。このワルツ曲はずばり、お城のセットでイケメンダンサーとバレエダンス、で決まりよね。ここ最近の聖子たん(&野崎くん)お得意の、ディズニー風メルヘン・ソング。「♪ルルル・・・ディンドンドン・ドン」は、さすがに50超えたおっさんゲイが口ずさむには(いいえ、ヘッドホンで聴いているだけでも・・)恥ずかしいのです、セイコ女王さま。もう勘弁してくださいませ。

  • 新しい明日(編:野崎)

 ドラマ主題歌で、昨年の紅白でも歌われた曲。途中にさりげなく入るイングリッシュのフレーズが洒落ているのは確かだけど、アルバムのリード曲に仕立てるには、いかんせん地味すぎでしょう。決して悪くない曲なので、もしかするといつか聴いているうち、ガーン!と来たりして(汗)。

  • あの風の中で(編:松本)

 またまた、どこを切ってもいつもの聖子バラード。詞もアレンジも全体のコード進行まですべてが・・・。「♪風が運ぶ君のぬくもり/立ち止まって瞳をとじたなら/君を腕に抱いたそんな気がしたよ」。このモヤモヤ感が残る“時空を超えた世界観”もやっぱり、聖子バラード。

  • もう泣かない(編:野崎)

 ミディアムのポップス。ワタシこの曲、好き!フックの効いたメロディーラインもさわやかなアレンジも聖子さんの美声を良く生かしていてGOODです。ようやく聖子たん、フツーに聴けるポップスが書けるようになったのよね、万歳!

  • 風に吹かれてフワリ(編:野崎)

 エンディングは、タイトルの印象を裏切ってのマイナー・メロディー。近年のアキナ作品でも話題になった沖仁さんのフラメンコ・ギターをフィーチャーしたアレンジが印象的な、聖子版「薔薇のように咲いて〜」といった感じ。終始、丁寧な作りで、このアルバムの「一味違う感」をより一層印象付ける佳曲。
 
 というわけで、久々にリピートで聴けるアルバムでした。
 それにしてもね、シリーズ化(?まさかね。)の疑惑が出るくらい代わり映えのしないアルバムジャケット、何とかならなかったのかしらね〜。
Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)Very VeryCherishDream & Fantasy (初回限定盤B)(DVD付)

ギフト〜夢の代償

 人間は夢の大きさと現状の満足とのバランスで生きている。
 簡単な話なのですが、若いころは、夢さえあれば、現状がどれほど悲惨でも何とか生きていける。それでも歳を重ねるごとに、かつて抱いてきた夢のほとんどは萎(しぼ)んでいくのは当たり前。その代わり、自分なりには相応の経験値を積んできたという自負と、現状の(それなりの)満足感で、人は壮年期以降を生きていけるのかもしれないな、なんてことを最近思っています。
 少子高齢化が進むこの国で50代を迎えた私の周囲も、当たり前のように人生の後半期を迎えた友人、知人たちで溢れています。とは言えカウントダウンが始まった人生に対峙している今、皆が悲壮感を漂わせている人達かというと全くそんなことはなく、そのほとんどが実に穏やかにありのままにそれぞれの人生後半期を受け入れているような気がするのです。それは勿論、成熟したこの国だからこそ許されることなのかも知れませんし、その中でもたまたま私たちが東京という、壮年・高齢者が生活するには恵まれた環境に身を置いているからかもしれません。
 何歳になっても大きな夢を追い続けることが出来たら素晴らしい事であることは間違いありません。それを否定するつもりはないのです。しかし一言で夢と言っても、社会的な成功や名声を得ることばかりではなく、たとえ平凡であっても自分をありのままに表現しながら回りの人びとと円満な関係を結ぶことが夢の実現と考える人も少なくないでしょうし、自分の夢は家族がいつまでも幸せに暮らすことである、という方だっているでしょう。いえ実際、私の周辺にいる50代以降の友人・知人たちは、後者の方が大部分だったりします。私を含めて。
 夢の主役が、いつの間に自己ではなく家族になりやがて他者との関係性にまで広がっていく。それは年齢とともに私欲が少なくなり、それまでの経験から、自分にも周囲にも過度な期待をかけなくなるからなのでしょう。同時に、平均寿命から導き出した自分の余命を考えたとき、敢えて“攻める”よりも、たった今幸運にも授かっているものを大切に守っていきたいという、防衛本能に知らず知らずのうちに支配されてしまっている、ということもあるように思います。
 いずれにせよ、やがて訪れる“死”を一方ではリアルに想像しながら、日々を明るくそれぞれに精一杯生きている友人たちを横目に見るたび、人間って逞しい、としみじみ感じているこのごろです。
 人は「意識」を持つがゆえに、人生の終盤に差し掛かると失うものばかり日に日に増えていくことを痛いほどに自覚せざるを得ません。犬や猫が死の直前に死期を予感したかのような行動を見せるエピソードはよく耳にもしますが、多くの場合、動物は「老い」を憂うことなどなく死んでいきます。でも人の場合、老いによる喪失感を受け入れつつなお、それまでに得られたものを糧にどうにか明るく生きてゆける。自分自身が人生の後半を迎えて初めて、それは「ギフト=贈り物」であるということを実感しています。
 日本ではつい半世紀まえくらいは人生50年が当たり前だったことを考えれば、50才を超えてなお健康で笑って過ごせていることだけでもラッキーなのかも知れません。
 西城秀樹さんが闘病の末に63歳で亡くなられたニュースに触れて、いよいよリアルに、そうした運命が自分自身や自分の大切な人にいつ訪れてもおかしくないことであって、たまたま健康で毎日を過ごせていられる自分の運命に感謝しないといけない、と思わざるを得ないのです。
 ふと、大好きなユーミンさんの曲の、こんなフレーズが耳に止まりました。

人は何も持たずに生まれ 何も持たずに
去ってゆくの
 それでも愛と出会うの
 (YUMI MATSUTOYA「Midnight Scarecrow」1997年)

 ユーミンはやっぱりスゴイです。