リンゴの輪郭~椎名林檎『三毒史』~

三毒史(初回限定生産盤)

三毒史(初回限定生産盤)

 

  何故、椎名林檎のアルバムはここまで中毒性があるのだろう。

  聴き込むほどに新しい鉱脈の発見があって、そこからまた、深く掘り進んでいきたくなる。今回の作品も、そう。発売から約ひと月、そうしてワタシが掘り当てた「鉱脈」のいくつかを独りよがりにつらつら書き連ねようと思います。

 

 「ワタシは、自分の音楽を聴いてくれる方々を選んでいるのかもしれない。

 才能ある者の高飛車な発言のように捉えられかねない彼女の言葉の裏側には、今回のアルバム収録曲「急がば回れ」に答えがあるような気がする。

 色気才能カリスマ性 そんなふぁっとした物じゃ誰一人救えないわいな

 プロフェッショナルとは何 仕事内容だけで能弁に述べよ 

 愛だろう云うなれば (「急がば回れ椎名林檎

 プロフェッショナルな存在として、彼女の音楽を好んで聴く者に対して、その期待に存分に応えること、それこそが「愛」である、と。

 先に出演したNHKの音楽番組「SONGS」で、彼女はこんなことも言っていた。

愛は知性にしか宿らない。

 アルバム『三毒』のテーマは、人の善心を害する三種の煩悩とされる、“貪瞋癡(とんじんち)”。それをオープニング曲のタイトル「鶏と蛇と豚」(貪(むさぼり=豚)、瞋(怒り=蛇)、癡(迷妄=鶏))で表している。

 そのうち「癡」こそ現代社会の病理であるとして、林檎さんは先の「愛は知性にしか~」という言葉を繰り出して、昨今のSNSなどで、深く考えることもせず瞬時に指先が叩き出す単語ひとつで人をこの世から抹殺できてしまうこの時代に警鐘を鳴らしている。「急がば回れ」は、“持っていない物をさも持っているかのように言う「プライド迷子」)”に対して、「洒落気に品性・知性 欲しけりゃ 相手を最優先に生きるしかない」と喝破。これこそが「愛」だということなのだろう。しかし一方で恐らく、裏返せばこれがまさしく自らの「愚痴(=癡)」であることも自覚してのことなのだ。何とも、用意周到。

 さて、デビュー後の初期林檎三部作(『無罪』『勝訴』『カルキ』)から“事変”を経ての三部作(『三文ゴシップ』『日出処』そして『三毒』)を並べてみたとき、本作は特に初期三部作にあった"刹那性"が影を潜め、40歳(近年の彼女のキイワード「不惑」)を迎え、時を経て誰もが向かう"死"を見据えた内容、つまり人生を「点」ではなく「線」として捉えたような世界観に大きく変化してきているように思える。

 無けなしの命がひとつ だうせなら使い果たさうぜ 「獣ゆく細道」

 大丈夫、ちゃんと時は過ぎていくから。「マ・シェリ

 高が知れた未来。短く切上げて消え去りたい。「TOKYO」

 人生なんて飽く気ないね まして若さはあつちう間 「長く短い祭」

 ああいのちの使い道は すれ違いざま笑って返すほんの一瞬

                      「目抜き通り」 

 これらの文節から滲み出てくるのは、しごく、真っ当ないきざま。溢れ出る才気で一世風靡し時代を生き抜いた一人の人物が、人生の折り返し地点を迎えようとしているこのとき、次々と閃く人生観のあれこれが、短い言葉並べの中で実に的確に語られているような気がする。

 驚くべきは、こうしたフレーズが、一聴したところでは難解な言葉の羅列とノイジーな音壁の中から、聴くほどに靄の中から姿を現しては鮮烈に心へと刺さってくること。恐らくは椎名林檎の音楽の中において、歌詞はその言葉の持つ本来のイントネーションを最大限に生かしてメロディーの中に紡がれているのだろう。だから、タイムラグを経てポン!と耳栓が外れたようにその言葉・詞世界がズンズンと響いてくるブレイクポイントが、必ずや彼女の音楽には、あるのだ。

 メロディーについても同様。クセのある歌い回しやシカケだらけのアレンジに耳慣れたころに必ずや気づく、メジャーセブンスコードで上下に展開するサビのメロディーの美しさ、カタルシス。今回それを強く感じたのは「ジユーダム」。いわゆる"ガッテン"のテーマ曲として一見コミカルな、チャールストンのリズムとラグタイム風アレンジで彩られたこの作品、しかしサビの「人生まあ生きていりゃ いろいろあるけれど~」という部分での芳醇なメロディー展開、その解放感・カタルシスにいつの間にやらノックアウト。

 今回はほとんどのアレンジも林檎さん本人が手掛けていて、オープニングの読経をはじめ、名うてミュージシャンの手に汗握る「21世紀のジャズ・セッション」の熱量がそのまま記録されたような「TOKYO」(なんと5拍子、ベスト・テイク!)をはじめ、穏やかに削ぎ落とされた音の裏に蠢く16ビートの妖しさに酔わされる「長く短い祭」、どの曲もシカケたっぷりで本当に飽きさせない。

 既発曲が多く収録されていることを批判する向きも多い本作、でもhiroc-fontana的にはそれが却ってアルバムではアクセントにもなっているように思えたし、5年間に発表れた曲がこの並びでしっかりアルバムコンセプトの一翼を担っていること、そこもまた"用意周到な林檎ちゃん"が垣間見えて、やっぱりこの人はスゴイ、と思わされたりするのだ。たとえば2曲目で宮本浩次に「誰も通れぬ程狭き道をゆけ」と歌わせれば、トータス松本にはエンディング前の曲で「飛び出しておいで目抜き通りへ!」と歌わせる。2曲とも既出の曲なのに、きちんとアルバムの中で最重要の位置を占めている。

 いつもながら曲の並びはシンメトリーで、今回は英題で並べたとき初めてそれがハッキリしたりするあたりも"中二病・林檎ちゃん"らしいシカケ。そしてその英題こそが、曲の本質を表していたりするから、そこも見逃してはいけないのだ。(「EGO-ism(マ・シェリ)」「Off-Line(TOKYO)」「Victims急がば回れ)」といった具合。)

 そんなわけで、今回も熱に浮かされたように聴きまくっているこの作品。中にはデビュー作『無罪モラトリアム』に原点回帰したようなシンプルな骨太ビート・ロック(「どん底まで」「至上の人生」)もあって、密かに恐れているのは、旧三部作&新三部作で一周したものとして、ここのところ林檎さんがあちこちで発言しているように「裏方に回る」宣言したらどうしようかしら・・・と。

 いや、まだまだやり終えるには早いですわよね、次回も期待しますよ!林檎さん。(願いを込めて。)