おすすめ本〜藤原てい著『流れる星は生きている』

 先日、「国家の品格」でもおなじみの藤原正彦センセーの対談集「日本人の矜持国家の品格 (新潮新書)日本人の矜持―九人との対話 (新潮文庫)という本を読んだことがきっかけで、続いてそのご母堂である藤原てい著「流れる星は生きているを紐解くことになりました。素晴らしい本でした!
 「国家の品格」も「日本人の矜持」も、近ごろ自信を無くしっぱなしの日本人に、日本人としてのプライドを取り戻しましょうよ、というような内容で、読むとこちらも日本人の端くれとして嬉しいようなくすぐったくなるような感じの本だったのですけど、その著者のお母様であられる「てい」さんの著書はと言えば、そんな“誇り高い”日本人だって、究極の状況におかれれば結局は「醜い利己主義者の塊」なのよ、と我々を突き放すような内容で、ご子息正彦さんの書かれたものとは対照的な内容なのでした。
 私としては正彦センセーの「国家の品格」を読んだあとは、必ずそのご母堂の「流れる星は生きている」をセットで読むことをオススメします。まるで正反対のベクトルで書かれたような両書を読むことで、人間というものの強さ、弱さ、ひいてはヒトとして生きることの素晴らしさ、くだらなさなど、両極端の思いが体験できるような気がするからです。そして、最後にはそんな生き物としての“人”が何だか愛おしくさえなってきます。正彦センセーの言われるところの、日本人特有の情緒=「もののあは(わ)れ」のような感覚を覚えるのですね。
 「流れる星は生きている」は、幼子3人を抱えて戦後の満州からの引揚げを体験した著者の、その想像を絶する道程の回想録です。舞台となるのは女性と子供を中心に構成された日本人引揚団。弱い日本人同士がはじめは助け合い、しかし心の中では次第に反発し軽蔑し合い、極限状態の中で最後には他人の子供たちを置き去りにしてまで自分たちが生き延びることを優先してしまうようにさえなってしまうのです。貨車の中ではいいオトナの男性が、子供のおむつが臭いから何とかしろと苦情を言い(何ともしようがないのに)、ひもじい思いで炒り大豆をかじっている親子を横目に、白米のご飯を食い散らかして、その残飯をいとも簡単に捨てる夫婦がいたりする。(そこで母は息子に、絶対にそんな残飯を漁ってはいけないとたしなめるのです。のちに「品格」について語ることになるご子息はそうして育ったのかもしれません。)
 引揚団の中では足手纏いでしかない“子連れ女”は、そんな、人の醜さ・嫌らしさを毎日のように見せ付けられながら、母としての小さな命への責任感をよりどころに、何とか生き延びていくわけです。
 さて翻って、自分などは、いざとなったら絶対に彼女のようには強く生きてはいけないだろうな、と思います。しかし、こんな苦労をしてまで生き抜いてきた人が実際にこの日本にいたのだという、それを知るだけでも、私には大きな励みになりますし、そんな先人たちの苦労を決して忘れてはならないと思います。
 一方で、いざと言う時に口先だけでなく、本当に自分より先に人を助けることができるのか?日本人としての矜持を堅持し、利己的な醜い姿には決してならないと、果たして自分は言い切れるのか?自問自答するきっかけにもなりました。そんな厳しい質問をこの本は投げかけてきてくれます。
 印象的だったのは、追い詰められた日本人たちが次第に醜悪な本性を露呈していく一方で、哀れな日本人を見ると内緒で食べ物や仕事を分けてくれたりする、現地の人(中国人、朝鮮人)の優しさです。そこには、民族や国境、戦争の勝敗などは関係なく、人としての根源的な感情が現れているような気がしました。つまり、いざ生死を分ける段になれば人はまず自分が生きることを先に考えてしまうけれど、最低限の衣食が足りてさえいれば、哀れな他人を見ると自然に助け合う生き物だ、ということです。逆に言うと、人間とは、理性的で慈愛に溢れる気高い面と、一皮向けばとことん利己的で動物的な面とを常に背中合わせにして生きているのだ、ということですね。当たり前ですけど、それが自分の本質である、ということを知っておくことは我々現代人にとって大事なのではないでしょうか。
 世知辛い現代に生きるすべての日本人にオススメの1冊です。

流れる星は生きている (中公文庫)

流れる星は生きている (中公文庫)

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 さて、ハナシはコロッと変わります。朝青龍の引退に至るまでの騒動を見ると、どこか日本人独特の底意地の悪さ、厭らしさを感じてしまう私です。「流れる星は生きている」を読んだ影響でしょうか。
 「品格が欠ける」というウラにモンゴル人である彼に対する民族的蔑視はなかったのか。朝青龍がもし生粋の日本人だったら、「品格」という言を使ってこれほど彼を攻撃したか、我々は胸に手を当てて冷静に考えてみることも必要かと思います。
 「政治とカネ」に関わる、天下の検察による“オザワ氏だけ”への執拗な攻撃もそう。ウラには官僚組織が生き残るための身勝手な理由が見え隠れしていたように思います。それを知ってか知らずかワイワイ騒ぎ立てるばかりのマスコミ、野党政治家、そしてそれに踊らされる多くの国民。
 今こそ我々ひとりひとりが、人として、日本人として持つべき「品格」とは何ぞやと、考え直してみる良いチャンスかもしれません。