ひとり旅ふたたび~7年ぶりの「おかげ参り」。

 10月19日から1泊2日で7年ぶりに「お伊勢参り」して来ました。

 決して意図して今回の旅行を計画してきたわけではなかったのに(まさに「思いつき」で、ある晩、ネットの旅行サイトでポチッ!と・・・(笑))、気付けば今上天皇陛下が即位礼正殿の儀を迎えられる直前だったという・・・。そんなタイミングで、天皇家の祖先と言われる天照大御神をお祀りする神宮にお参りできることに、なんだか不思議な仕組みを頂いたような気もしました。

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内宮の参道から見上げた青空に、龍のような雲が

 伊勢には7年ぶりという事で、前回の旅行をそのままトレースしたような旅ながら、前回と全く違った印象を受けたのが面白くて、今回も存分にひとり旅を堪能してきました。

 かつては一生に一度のお参りをすべての日本人が憧れていたと言われるお伊勢参り。江戸時代には村で「お伊勢講」と言われる、今でいうところの旅行積立のようなことをしたり、お伊勢参りに向かう旅人の目印である、柄杓(ひしゃく)を携えた人は、道中は街道沿いの人々から一晩の宿や食事さえ提供されたと言います。

 それほど、伊勢神宮へのお参りは、昔から日本人にとっては特別なものだったということなのでしょう。

f:id:hiroc-fontana:20191019114048j:plain (一日目は外宮。雨でした。)

 現代もそれは変わりないようで、7年ぶりに訪れたお伊勢さまは、雨天にもかかわらず相変わらず清浄な気に満ち溢れていて、参道は善男善女で賑わっていました。気のせいか日本人比率が高い印象もあってインバウンドの影響はあまり無いようにも思えたのですが、これも神宮ならではのことなのかもしれません。

f:id:hiroc-fontana:20191019135411j:plain (やがて、雲が切れて・・・。)

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(2日目の朝、宇治橋を渡るころには素晴らしい青空が。)

 

 さて。今回の旅は、少しばかり波乱の幕開け。出発前日に旧友からのお誘いがあり、いつもながら飲み過ぎて、翌朝、見事に(!)寝過ごしてしまい、朝早くの新幹線に乗り遅れるというハプニング(苦笑)に襲われてしまいました。新幹線の方は、幸い一時間後の自由席に余裕で乗れて、無事リカバー。

 しかしそんな予想外の出来事を「これも、ひとり旅ならではの一興よ。」などと、強がりともつかぬ呟きとともに、むしろ「楽しんでいる」自分も確かにいまして、己のその図太さに驚きつつも、イイ具合の"イイ加減さ"をいつの間に身に着けていたことに、えも言われぬ満足感を覚えていたのも事実でして・・・。

 その時どきの心の葛藤や、予期せぬ出来事で気持ちが動揺することは避けられないけれど、やがてそれらもいつの間にやら通り過ぎて、気付けば何事もなかったように、まるで必然的に、次の場面に移ってしまっているものです。

 肝心なのは、出会うものに対してどのように対峙していくかであって、それはすべて自分の心が決めること。そんな心の持ちようをいま、学んでいる私なのかも知れないと。ひとりで生きて、ひとり旅を続けることの目的は、もしかすると、そのことだけなのかも知れない、なんて。今回の旅ではなぜか、そんな思いがずっとありました。

  

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 そして今回のひとり旅、私のテーマは「他生の縁」そのものでした。

 ここ数年、50代半ばになって段々と「大勢の中の自分」というものが客観視できるようになってきていまして、そのぶん、周囲との距離の取り方がわかってきて、いろいろな意味でラクになってきたんですね。

 たとえば自分が前に出る場面でないなら、一歩(もしくは数歩)下がって様子を見守る、とか。相手が急いでいて、自分に時間の余裕があるなら相手に先を譲る、とか。
 そうすると、無用な対立は生まれないし、何より、自分が無理をしなくて済む。 

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(今回も、大好きな二見浦まで足を伸ばして来ました。夫婦岩です。)

  以前の私は無意識のうちに何かにつけ「自分(=我)」が前に出て来てしまうことばかりで、それが他者との間に軋轢を生んで、心の葛藤や感情の乱れ(イライラ)を徒に呼び起こしていたように思えるのですね。それをいざ「相手に譲る」という姿勢でこの世の中に対峙してみると、こんどは、人々の優しさの方が目に付いて仕方なくなってくる、という。。(こんなことを書くのは、ちょっと気恥ずかしいのですけどね・・・。)

 それは今回の旅で出会った人々がお伊勢参りの善男善女だから、ということばかりではなく、本来多くの人が持ち合わせている美徳に違いないのだと。それを信じて、心してそこにフォーカスしてみる、ということ。 

(ああ、私はこれまで、そんなことさえもして来れなかったのだな・・と。しみじみと反省した次第です。)

 そうしてみると、例えば街角で出合がしらにぶつかりそうになったとき「すみません、どうぞ」と譲ってくれる若い女性が現れたり、道を尋ねれば、曲がり角まで先導して行く先を示してくれるカップルがいたり・・・世知辛くばかり思えたこの世の中も、いくぶんか違った風に見えてくるのですね。

 そして、すれ違いながらも一期一会を前回以上に楽しんでいる自分がいたのです。

 冒頭で私が「前回の旅行をそのままトレースしたような旅ながら、前回と全く違った印象を受けたのが面白くて」と書いた意味は、そういうことです。

 これからもうしばらく、人生のひとり旅、こんな感じで続けていくのだと思います。

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(もちろん旅の愉しみのひとつはグルメ。今回も堪能しました。穴子せいろはふんわりと香り、最後は出汁茶漬けで。方や自然な味噌の味があとを引く伊勢みそラーメンは、地元の有名店(「蔵deラーメン」さん)で、店の外は大行列でした。)