2018-2019 Yuming&聖子 それぞれのプロ根性

 明けましておめでとうございます。
 2005年に開設したこのブログ、15年目に突入です。自分でもオドロキでございます。
 2018年の年末は、右手首の骨折という、この15年・・・いいえ、ワタシの半生50ウン年でも5本指に入るくらいのアクシデントに見舞われましたが、多くの方にご心配をおかけした一方、たくさんの温かいお励ましのお言葉も頂きまして、お陰様で順調に回復しつつ、新たな年を迎えさせて頂いておりますこと、感謝の気持ちを込めてご報告申し上げます。
 さて、こんなワタシではありますが、実は昨年末、12/29に名古屋の日本ガイシホールで開催された「松任谷由実TIME MACHINE TOUR Traveling through 45years」に参戦してきたのです。ユーミンからの、恋のうた。(初回限定盤B)(3CD+DVD)追加公演のメールが来て何となく先行予約に申し込んで、図らずも当選して喜んでいたアノ時は勿論、その後に自分が骨折することなど露知らず・・・ということで、無理は承知の上で、赴いて参りました。まあ、実際にはほとんど不自由を感じることなく、熱田神宮に参拝し、名物ひつまぶしを食し、名古屋城周辺を散策し、そしてユーミンのコンサートへ・・・と、いつもの「気ままな独り旅」そのままであったわけですが(ご心配頂いた皆様には申し訳ないお話です)。
 さて、本題のユーミンの45周年コンサート、まだまだツアーは続いていますので詳しくは記事に出来ませんが、もはや日本の音楽界&ショウビズ界のレジェンドである彼女の足跡・功績が見事に再現された本当に素晴らしい「ショー」(ユーミンは自分のコンサートを“ショー”と言います)でした。ワタシ、昨年、あのテイラー・スウィフトのコンサートを観まして、その過剰なほどの“これがエンタテインメントよ!どうよ!”ぶり(笑)に瞠目させられたのですけど、今回のユーミンはそれに匹敵すると言いますか、それを超える内容かもしれない、とさえ思えました。見せて楽しませるだけでなく、主役は45年間に生み出された数々の名曲たちであって、それらの曲がそのまま自分の人生に繋がっているからこそ、ステージ上で繰り広げられる夢のような場面に自分が一体化できる。そんな至福の時をユーミンのコンサートでは最初から最後まで感じられたのです。スタッフも、演者も、気持ちいいくらいに、プロ中のプロ。齢60を超えて、たとえ歌声が劣化しようがそれをカバーするに余りある輝きは、その徹底したプロ根性が無ければあり得ない、そう思いました。
 ユーミンは年末の(「平成最後の」←この言葉、あまりに軽々しく使われ過ぎていてイヤなのですが)紅白にも出演して、最後はサザンの桑田さんとステージ中央に立ってその存在感を見せつけてくれましたけれど、やはりそこには「紅白出演を快諾する」「自分の出演場面に全力を注ぐ」「脇役としてもステージを盛り上げるために(少し過剰な)パフォーマンスをする」という、芸能界の“レジェンド”としての自分を俯瞰してのギリギリの選択がなされていて、放っておけば我がままになりがちな“自称”レジェンドたちに爪の垢でも飲ませたいくらい、演者としてプロフェッショナルに徹底していたのだと思います。サザンの桑田さんしかり。そこが見ていてとても気持ちよかったし、多くの方の感動を呼んだのだと思います。
 さて、一方の聖子さん。Seiko Matsuda Concert Tour 2018 Merry-go-round(初回限定盤) [DVD]紅白でのパフォーマンスは今年も「劣化」「口パク」「キイが低すぎる」など叩かれまくっていますが、ワタシは個人的に、ユーミンに通ずる「役割を演じきった」気持ちよさを今回の聖子さんには感じました。アイドル界の“レジェンド”として、フリルのついたドレスを着て、かつて皆が口ずさんだ曲たちを、今の彼女としては精一杯のパフォーマンスで演じた、ということ。ユーミンやサザンやサブちゃんといった大御所と並んで、残念ながら少しだけ世間的には地位が低く見られてしまう“アイドル”として、しかし間違いなくその伝説を作った大スターとして、同じ紅白の舞台でその存在感を示せたのではないか、と。
 奇しくも2019年は聖子さんにとってプレ40周年にあたる年。前半は「SEIKO JAZZ2」でより進化したスモーキー・ヴォイスを披露してくれることに期待しつつ、後半は今の聖子さんにしっくりくる素敵な外注曲で快心のヒットを飛ばしてもらいたいものですわ。

 
 ということで、本年もどうぞよろしくお願いします。

中年ギブス

 大掃除しなくちゃ。でも。いざ年末の休みに入ったとしても、きっとそんな暇はないわ!今のうちに出来るところから、しておかなくちゃね・・。
 珍しく時間に余裕があった土曜の朝、そんなことを思い立ったのが、いけなかったのか。いや、元々、そういう筋書きだったのか。
 脚立に上って、雑巾で本棚の上のホコリを拭き終えて、脚立を下りようと右足を降ろそうとしたとき・・・あ!
つるっと、踏み外して、仰向けに、床に落ちた俺。
 そのとき、身体を支えようと、反射的に右手を床に着いていたらしい。
 立ち上がって、ジーン・・・と痺れている右手を見たら、ぐにゃっと掌が変な方向を向いていて・・。
 そう、手首を骨折!しちゃったのです。。。
 その後のことは、あまりに必死だったのでよく覚えていないのだけど、近くの病院に駆け込んで、救急在来でレントゲン撮影やら、4人がかりで手足を押さえつけられて変な位置にズレてしまった骨を“ギュ~ン”と引っ張り戻す“拷問”、もとい、「施術」をしてもらったりして。そして気が付いたら、右手首から肘までギブスでガッチガチ、それを首から三角巾で吊るという、誰から見ても「大ケガしました」状態になっており・・。
 
 ワタシは右利き。そして独り暮らし。
字は、書けない。箸も使えない。車の運転も、できない。それは覚悟するとして・・・。
仕事はどうする? 食事はどうする? 年末に向けて予定していたアレやコレはどうする? ・・右手がこの状態で・・。 
病院から帰る道すがら、トボトボと歩を進めながら、ワタシを待ち受けている近未来を想像して、愕然とする。
 
 そして、家に帰ってまず気づいたこと。
 シャツが・・・脱げない・・・。
 そのとき着ていた長袖シャツの袖は、右腕にガッツリ装着されたギブスの端の、肘のあたりにまくり上げられていて。これ、どう考えてもギブスを取らない限り脱げないじゃないの。
 まあよくよく考えれば、看護師さんたちも上半身裸の中年ギブス男を病院から送り出すわけにもいかなかっただろうし(笑)、この理不尽な状況を恨んでも仕方ないわけで。
 出来ることは一つ。お気に入りだったこのシャツ、切り裂くしかないわ、と。押し入れから裁ち鋏を持ち出して、いざ!切るぞ、と決心した途端、今度は、あ、左手じゃ鋏が使えない(笑)!と気づいて。結局、鋏の片方の刃をカッターのように袖にそおっと通して切れ目を入れて、切れた端を口で咥えてビリビリッ!と(まるでランボーのように)、着ているシャツを破り捨てた俺。わお、ワイルド。
 そこから、吹っ切れたのだ。
 もう、この現実を受け入れて、この経験を楽しもう、左手だけで、生活してやろう、とね。
 こうして、独身中年ギブス男のひとり生活が始まったのだ。
 まず、揃えたものは、左手用の鋏と、厚手のウェットティッシュ。とにかく、片手で食事をしようとしたら、インスタントものに頼らざるを得ないわけだけど、それはことごとく「袋を開ける」作業が付いて回るにことなる。たとえば味噌汁。ご丁寧に味噌と具が別の袋に入っていたりする。もちろんそれぞれ袋には「切り口」なるものがついているけれど、これを片手で開けるのは至難の業なのだということが、やってみて初めてわかるのだ。そして、なんとか開けられたとしても味噌がドロッと溢れてしまったりするので、ウェットティッシュは必須、というわけ。手を洗うのさえ片手では満足にできないのだから。
 それらの、利き手が使えない事で初めてわかる、生活する上での難題の数々。
 たとえば、左腕の腕時計が外せないとか。左指の爪のササクレが痛くても、切れないとか。トイレットペーパーが切れない、ほどけた靴紐が結べない、タオルが絞れない、ネクタイが締められない、折り畳み傘が畳めない、アイフォンの充電コードが嵌められない、などなど。
 そのうち、そうして次々と押し寄せてくる難問を自問自答しながら解決していくことが、いつの間に自分の生き甲斐のように思えてきたのだから、不思議でね。
 腕時計は口で(正確には歯で)外して、その後は絶対に腕にはめずに「懐中時計」にすればいいし。トイレットペーパーは、引き出したペーパーを膝の上に置いて、ミシン目を左手の親指と人差し指で広げるようにして切ればいいし。タオルは風呂場のタオル掛けに引っ掛けたまま左手でねじれば何とか絞れるし。アイフォンは膝に挟んで充電コードを差し込む、とかね。
 そう、何より俺は、左手が動くし、足も頭も変わらず動くのだ。それだけでも、貴重なことのように思えてね。左手ちゃん、いままで蔑ろにしてきてごめんなさい、なんて。
 
 とはいえ、もともとがセッカチな俺。
 週明けに再通院したときに、先生から早い社会復帰のために骨折部をプレートで固定する手術を勧められて、即答で「お願いします」と。(苦笑)
 そんなわけで、骨折から10日、さすがに手術直後は患部が痛くて眠れない日もあったものの、痛みも峠を越したいま、右手首はギブスから包帯に変わり、こうして両手でパソコンのキイボードを打つところまで復活をしていまして・・・。医学の進歩に感謝するとともに、五体満足でいることの有難さをしみじみと感じているところであります。
 そして今回の経験を通じて改めてわかったこともたくさんありまして。たとえば片手ではコンビニのレジで小銭を出すのにもえらく時間がかかったり、自動改札の前でポケットからICカードを出すのに手間取ったり、食事や着替えにもいつもの倍くらい時間がかかったりするわけで、たとえ目の前でノロノロやっている誰かを見ても、今までのようにイライラしたりせずに、思いやりをもって「待ってあげる」ことが、せっかちな自分には必要なのだなと気付かされたの。自分の物差しばかりで見ていたらダメなのだな、とね。
 あとは、何といっても、人の優しさよね。それは改めて感じた。病院でサインが必要なときに「私が代わりに書きましょうか?」と言ってくれた窓口の人。職場でコートがうまく着られないときに、さりげなく手助けしてくれた同僚。コンビニのレジでお釣りを財布にしまうのに手間取っていたら、代わりにワタシの財布に直接おカネを入れてくれた店員(それも、硬貨を数えて見せながら)。などなど。右手を三角巾で吊っているというそれだけで、色々な人の優しさに触れることが出来て、「この国も捨てたもんじゃない」と改めて思えたのだ。(ギブスが取れたいま、さすがに誰も手を差し伸べてくれなくなったけどね。当たり前か。)「俺は誰の助けも借りずに独りで生きて行く」なんて、やせ我慢を言うのは勝手だけど、結局そんなことは五体満足だからこそ言えることなのよね。
 そんなわけで、師走に入っての激動の数週間。新年を迎えるにあたり厄落としとも言えるし、何だか右腕にチタンのプレートが入っただけなのに、少しハイスペックな自分に生まれ変わったような(笑)、不思議な年末を迎えております。

歌姫ここにあり〜80年代ライブ映像『Seikoland』

Seikoland ~武道館ライヴ '83~ [Blu-ray]

Seikoland ~武道館ライヴ '83~ [Blu-ray]

 聖子たんの80年代の貴重なライブ映像3作品がBlu-Rayになって再発。その中でhiroc-fontana特にオススメは83年の武道館ライブを収めた『Seikoland』。この作品以外にはデビュー3年目を迎えて間もない頃のNHKホールでのコンサートを収めた『レモンの季節』に、85年の結婚休養前の武道館コンサート『SEIKO CALL』が同時発売。ファンタスティック・コンサート レモンの季節 [Blu-ray]SEIKO CALL~松田聖子ライヴ '85~ [Blu-ray]
 全盛期のライブが初Blu-Ray化という、ファンにとっては堪らない内容ながら、ソニー・ミュージック・ダイレクトからの発売ということで、オフィシャルサイトからは完全スルー。
 そこに聖子さん本人の意志がどれほど反映されているのかはわからないけれど、すべてを初めて鑑賞したhiroc-fontana(すみません、ファンを名乗りながらもこれまでLDやDVD−BOXまでは手が伸びていなかったワタシです・・)としては、どこかその「完全スルー」の意味がわかるような気がしたのね。
 ワタシが聖子さんだったら、このライブ映像が残されて何度も再生されるの、ちょっとイヤかもしれないな・・・と。(ちょっと衣装も・・・だしね。)
 いいえ、hiroc-fontanaとしては、とても楽しめたし、まさしく当時の聖子さんを取り巻く空気を閉じ込めた「永久完全保存版」的なアイテムだと思う。
 ただ、それがライブだから仕方ないのはわかっていながら、これまでCDで再三愛聴してきた聖子たんの完璧なヴォーカルからすると、ライブでは曲によってかなりクオリティにバラつきがあって「え?聖子たん、こんなに声が不安定だったっけ?」と思えるようなパフォーマンスも少なくなくて、軽いショックを受けたのよね・・・。
 まあね、同じく“時代を代表する歌姫”とは言っても、ライブに命をかけて25年間走り抜けた後期のアムロちゃんのライブの完成度と比べてしまうと、初めから聖子たんに勝ち目はないし、比べること自体、そもそもしちゃいけないのだけどね(苦笑)。だって時代背景(機材や演出やその他もろもろ)が違うわけだし、本人の情熱の傾け方も違うし(当時の聖子たんはテレビに映画にレコーディングに大忙し)、そもそもこのブルーレイはデビュー後数年の頃の聖子たんのライブなわけで、まさにマスターの域に達していたアムロちゃんとは違って当たり前。
 とは言えやはりデビュー4年目、83年の聖子たんはやはり素晴らしくて、ここに記録されているのは、超多忙なコンディションの中、まさに時代を駆け抜けながらトップに上り詰めてその後もアイドルのレジェンドとして君臨する“歌姫”そのもの。そう思えたのよね。
 この武道館ライブから僅か1年半前の『レモンの季節』での、どちらかと言えば野暮ったい印象からすれば、この『Seikoland』では衣装もパフォーマンスも格段にレベルアップしていて、歌うときの表情や手振りが優雅さを増していて、まさに「スター」の輝きがある。(ちなみに舞台演出はあの伊集院静氏で、大きな客船での航海をテーマにしたステージセット、四季の移ろいに沿って緩急つけたセットリストなど、凝った演出が楽しめる。それに比べて近年のワンパなステージ構成ときたら・・・この頃はよかったわ。号泣。)
 何よりも素晴らしいのは「歌」。歌唱の安定度からすれば85年の『SEIKO CALL』に軍配が上がるのかも知れないけれど、当時21歳の聖子たんの、得意のしゃくり上げ満載の哀愁声は格別で、初期のアップテンポの曲群「青い珊瑚礁」や「裸足の季節」では高音域を伸びやかに歌い上げ、「小麦色のマーメイド」や「セイシェルの夕陽」などのニュアンス重視の曲では感情豊かに低音域のハスキーな声を会場全体に響かせている。かと思えば「Rock'n Roll Good-bye〜チェリブラ〜ロックンロール・デイドリーム」という絶妙な選曲の“ロック・メドレー”でけっこう激しいダンスをカッコよく決めた(歌のほうは誰が見てもわかる“口パク”。まだ口パクは訓練中だったのよね(笑))あとに、上がる息をものともせずにバラード曲「星のファンタジー」をとんでもない集中力で見事に歌い上げて見せる。この曲がこのライブのハイライトだと、ワタシは思ったのよね。
 歌姫の伝説のライブと言えば、ひばりさんの「不死鳥コンサート」不死鳥コンサート in 東京ドーム 豪華盤 [DVD]とか、百恵さんの「伝説から神話へ」伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ [Blu-ray]とかは、比類ないレベルのものであって、その中で同じように時代を代表するスターとして語られる聖子さんの“伝説のライブ”がこの『Seikoland』だ、と言うつもりはないのだけれど、わずかデビュー4年目ながら、その小さな身体とマイク1本で、確かに武道館の満員の聴衆をその歌声の虜にさせている歌手・松田聖子のスゴさは、このブルーレイで充分なほど伝わってくる気がしたのだ。
 最後にね、ちょっとSonyさんには苦言をひとつ。Blu-Rayにするなら、もっと映像をそれなりにブラッシュアップするとか、音をクリアにするとか、できなかったのかしらね。VHSのビデオ引っ張り出して観ている気がしたわ・・・。

「ノドモトすぎれば・・。」或は「ツワモノどもが・・。」そんなモンよ

 ワタシの職場は半官半民のようなものなので、定期的にお役所の監査が入るのよね。
 でも、監査とは言っても、いわゆる査察とか家宅捜索とは違って、ワタシたちを“しょっ引く”(笑)為に調べるのでは無くて、まあ、お役所としてはお役所の「フランチャイズ店」が、決められたルールの通りやっているか?を調べるようなものなのね。
 むしろ、一部コンビニの“フランチャイズ制度”で囁かれているように、売り上げが未達だと“コッテリ絞られる…”なんてことが無いぶん、もしかするとフランチャイズより楽なんだと思う。
 でもね、職場にはその監査の知らせが入るとそれだけで大騒ぎになっちゃう輩が多いのです。その結果、やれ「監査が近いから会議の書記は勘弁して下さい」だの、やれ「監査準備があるので書類の締め切りを伸ばして下さい」だの、中には「明日、監査だから代わりに研修会に出てください」なんてことも平気で言ってくる。そんなアンタが、少しでもデキるようになるための研修なのに、アンタが出なくてどうする?というハナシです。
 そうした騒ぎを見るたび俺、「あなた!監査にそんなに怯えて、じゃあ伺いますけどね、普段どれだけいい加減な仕事してたわけ?」と思わず口を突いて出そうになるのだけど、それを飲みこんで、こう言うわけです。
「大変ですねー。でも、監査では普段気づかないところをキチンと監査員に見てもらって、アドバイスをもらうチャンスなのだ、くらいの気持ちでいた方が楽かもしれないですよ。」って。
 完璧に準備して、監査員から高評価を受けたい。それはわかる。
 重箱の隅を突かれたようなイチャモンをつけられるのは不快極まりない。それもわかる。
 しかし。
 たかが監査員に褒められたとして、はたまた、罵倒されたとして、それがナンボのもんじゃっ!!どんだけ〜!?
てなもん(笑)で、それがワタシの心の声。いえいえ、間違っても監査員に罵倒なんてされないし・・・。
 そんな風に世の中、少し冷静になって考えれば何てこと無いことなのに、 無駄に大騒ぎし、焦り、怒り、悲しみ、苦しみ、そうして自らストレスを招いている人たちの、なんと多いことか。(ボーっと生きてんじゃねえよ!byチコ)
 それは全て、未知なる未来への、根拠のない恐怖、それに尽きるのかな、なんて思うのだ。
 わからないから、否、分かろうとしないから、つまり自分の頭で考えようとしないから、簡単に拒否反応を示してしまう。あるいは逆に、言われたままに回りに迎合してしまうのだ。たぶん。
 監査を前にして大騒ぎする同僚たちは、監査内容そのものよりも、「監査」=「大変なこと」、と言う上司・先輩たちからの根拠ない刷り込みによって、あるいは「監査」=「家宅捜査」=「しょっ引かれる?」といった風な、ニュース番組からのマイナスの刷り込みによって、条件反射で騒いでいるに過ぎないのだと思うのよね。
 だから伝家の宝刀のようにそれを言い訳にして、あれはできない、これもできない、その前にこれをしないといけない、あげくには、だからあなたも同意して協力しなさい!と何のギモンもなくシャーシャーと言えてしまうわけですね。付き合いきれませんわ、ったく。

 見回せば世の中、そんなことばかりのような気もします。
 例えば、エラい与党の重鎮が「LGBTは気持ち悪い。風紀を乱し、果ては国体を危うくする。」とかいうのも、そう。
 自分の身内にLGBT当事者いるかもしれない(たとえば自分の息子や娘にねっ!)とか、相手も人間であって、その発言によって傷ついているかもしれないとか、その軽率な発言ひとつで自分の方がケイベツされているかもしれないとか、そんな事には考えも及ばないわけですね。
 ただ単純に「自分には理解できない事だから」というそれだけで「拒絶」してフタをしてしまう。得体の知れない未知なるものとして、「恐れ(怖れ・虞・懼れ)」を抱いてしまう。結果、国体・国家を守るといいながら、守るべきこの国の伝統である“歌舞伎界”に“女形”という存在が大切に・脈々と受け継がれてきていることさえ無視して「風紀が乱れるから許せない」なんて事を言えてしまったりするわけですね。その時点で、何も考えていないのだと思うのです。
 
 ワタシたちは、放っておくと自分に都合がいいようにだけ、世の中を見ようとしてしまうもの。
 そして、あまり考えもせずに拒否したり・迎合したりして、日々をやり過ごしてしまいがちなもの。
 でもその裏側にあるものは、未知なるものへの根拠ない恐怖心だけだったりする。
 それを迎え入れる寛容さと勇気が少し、足りないだけだったりする。
 それを自覚するために、胸騒ぎを覚えたらまずひと呼吸おいて立ち止まり、この気持ちは本当に自分のものなのか、どこから来ているのか、それを考えていく幾ばくかの努力を持ち続けていきたい、なんて考える、今日このごろ。

時は過ぎにけり〜中島美嘉「Love Addict」

 最近、自分の中でこの曲がリバイバルしてまして。

 2003年4月発売、中島美嘉さんの7thシングル「Love Addict」。作編曲は当時アシッド・ジャズ等のクロスオーバーサウンドで業界をリードしていたMONDO GROSSO大沢伸一さん、作詞の方は美嘉ちゃん本人。
 あら〜、これがもう15年前の作品なのね・・・と今更タメ息。そして、シングル曲一曲のために時のアーティストに曲を発注して、レコーディングではジャズミュージシャンを集めてバックを固めるといった、こうした贅沢な音作りは今はもしかするともう、望めないかもしれないわね・・・と、また一つタメ息。
 2003年当時、まだまだ歌姫ブームが続く中、キンキン声が中心だった“じゃぱにーず・ディーバ”たちの中で、美嘉ちゃんはそのミステリアスな雰囲気とゴージャスなハスキー・ボイスで個性を発揮して、独自の地位を確立していたのよね。
 とは言えそもそも美嘉ちゃんの出自はというと、ソニーのオーディションなわけでね。フタを開ければ実のところ、同時進行で女優業なども続けてきた“アイドル・ディーバ”でもあったわけよね。そんなこともあってかその後の美嘉ちゃんの経歴を振り返れば、映画『NANA』や『バイオハザード』シリーズへの出演(ゾンビ役を熱演♡)、果ては森三中とのコラボ(おまけに近年はバレー選手との結婚と離婚・・・)まで、時を経るごとにどこか取っ散らかった印象になってしまっていて(苦笑)、やっぱりその辺も「アイドル」そのものだったりするわけよね。。。
 しかし「Love Addict」はやはり、そんな美嘉ちゃんが素材であったからこそ生まれた傑作でもあって、ソニーというレコード会社が、その将来性と埋蔵量を見込んだ中島美嘉という“素材”を、とにかく未完成なうちから猛プッシュして、様々なアーティストやミュージシャンの協力を得ながらスターに仕上げていくという、旧来からのショウビズ・システムの賜物であった、と思うのね。もしかするとそのシステムが正しく機能した最後の例なのかも知れない、なんて大袈裟にも思えてしまう。
 そうは言っても勿論ワタシ、近年の音楽作品のレベルが下がったと断言するつもりはないし、実際そうも思っていない。
 ただ、音楽を楽しむ環境がパッケージものから配信に移行する(薄利多売になる)中で、どうしても作る側としてはコストが確実に回収できる方向を選ばざるを得ない環境になってきていて、自作自演系として確固たる世界を確立して固定ファンを持つアーティストか、AKBやジャニ系のように“商法:ビジネス”として出来上がった売り方でしか勝負できなくなっていること(つまりはそうそうおカネをかけられなくなっていること)は、様々なメディアなどで多く耳にするところだったりする。
 そんな中で、デビュー当初から秋元康やら松本隆やら吉田美奈子伊秩弘将宮沢和史HYDEケツメイシ、果てはみゆきさんまで、錚々たる顔ぶれから曲提供を受けてきた美嘉ちゃんは、やっぱり“平成最後の女性アイドル”だったのでは、と思うのよね。
 「Love Addict」は、そんな、贅沢な時代の遺産。“未完の素材”に少し高いハードルを与えて、そこから生まれる化学反応によって新たな地平を切り開いていく。つまりはサプライズの“タネ”を計算づくで仕込んでいくこと。商業音楽に、そんな“遊び”と“刺激”が許されていた時代。
 ここでの美嘉ちゃんは、その期待に十分応えて、本格的なジャズ・ワルツのリズムで五線紙を上下に飛び回るフクザツなメロディーを実に見事に歌いこなして、まさにオンリーワンの世界をそこに作り上げている。これが、たとえば、MISIA? JUJU? 平原さん? だったら・・・当たり前すぎてここまでテンションの高い仕上がりにはならなかったのではないか、なんてことも思うのだ。そう、不安定で未完成だった、アイドルディーバ・美嘉ちゃんだったからこそ、この素晴らしさが、ある。それは確かだと思う。

 思えば今回のこのオハナシ、ワタシが頭に思い描いていた80年代のサンプルはこの人のこの曲だったのかもね。アイドルだからこその、軽々とハードルを越えたときの「突き抜け感のスゴさ」、という意味では。。。

私の背後をブルドーザーが通る

 先日、休みの日に、用事を済ませるために車を出したの。ウチは下町だから、駐車場から大通りに出るまでは、車一台が通るのがやっとというような細道なのね。で、その日、駐車場から車を出したら、運悪く対向車が角を曲がってくるのが見えたのだ。「あちゃー!」と思ってワタシ、咄嗟にたまたますぐ先に少し奥まった作りの家があったので、その家の前に車を寄せて、アチラがかわして通り過ぎてくれるのを待ったの。そうしたら、その車、角を曲がらずにそこで停まったままで。おかしいな?と思ったら運転席からオッサンが出て来て、トランクを開けて荷物を運び出し始めたのだ。「オイオイ!」と思ったのだけど、「あ、自分の家に荷物を運び入れようとしていたんだ、すぐ終わるのよね?」と考え直して、少し待つことにした。こっちは急ぐ用事ではなかったから。
 でもね、対向車を待たせるにしてはこちらに何の合図もないし(ふつうはこちらに向かって会釈して、手を挙げて「ちょっと待って」くらいのサインを送るでしょ?)、そのオヤジの動きがやけにゆっくりなの。まるでこちらの存在など全く見えていないがごとく。
 なので俺、仕方ないから車を発進させて近づいて、オヤジに文句言おうと思ったのね。「ちょっと車を動かしてもらえませんか?」って。それでいざ、通りの角まで車を動かしたら「あ、通れる(苦笑)」・・・。
 そう、敵もさるもの、自分はお前が通れるようにスペースを開けているから、何も問題はないだろ?ということだったわけね。
「だったらさ、車から出てきたとき、手招きでもして「通れるよ」とこちらに合図を送ってくれてもいいでしょうよ!」(俺なら絶対にそうするし。)と言いたかったのだけど、オヤジはすでに荷物を運ぶために家の中に・・・。
 狭い日本に肩寄せあって生きているのだから、お互いにちょっとした心配り、思いやりは欠かせないものだと思うのだけどね。どうなってるのよこの国は!と思わされることが最近、多すぎてね。ちょっと「痛勤電車」カテゴリーではない前置きバナシが長くなり過ぎたのだけど、同じようなちょっとした思いやりに欠ける行為が通勤電車の中はあまりにも多すぎて・・。ワタシ、以前と比べれば随分と他人の「非常識行為」に寛大になってきたつもりではあるのだけど、やはりちょっとした“イラッ!”は日常茶飯事で。
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 いまの通勤電車の中でイヤなのは、吊革につかまって立っている時に、後ろを通る人が体や荷物をワタシの背中にぶつけてくること。人間は、肩幅とお腹の幅を比べれば、ほとんどの人は肩幅の方が広いのだから(中には「樽」のように、前向いても横向いても同じ幅の人もいるけどね(笑))、狭いところを通る時、カニのように横歩きして歩かないといけないわけよね。仮にその気持ちがあってそれが出来ていたとしても、ダメなヤツの場合、肩に鞄をかけたまま人の後ろを通るので、鞄の角が容赦なくワタシの背中をぶっ叩くわけね。痛いんだってば!
 中には、邪魔にならないようにバックパックをお腹の方にかけている殊勝な人もいるのよね。それは、それでいい。だけどね、そのままの恰好で通路を通れば、いくら横歩きしても余計に幅を取っちゃうわけで。結局は人の背中を次々となぎ倒していくことになる。それじゃ、せっかくのちっぽけな「思いやり」も台無しよ!わかってる?
 混んだ電車の中で人の後ろを通る時は、「鞄を肩から下ろして」「鞄を横向きにして人に当たらないように歩く」のよ!いい?
 でも、以上はまだ許せる範囲。まるでブルドーザーのように、正面を向いて人の背中をかき分けてくる人の、なんと多いことか。そういうヤツら、大概はスマホの画面に目を落としたままだから、画面に夢中になって自分の肩が人にぶつかろうが、何にも感じていないのだと思うのだ。ヤツらは公共の場を歩きながらも独りスマホ世界にどっぷり浸かっていて、回りが目に入っていないわけだから、手のほどこしようがないわよね。
 いざシートに座れたとしてもそれはそれで、そんなスマホ世界にどっぷり入り込んだ人が隣だと、無意識に肘を横に張って画面操作していることが多いので、横に座ると窮屈この上なくて。身体を動かしてこちらの不快感を示すと、邪魔するんじゃない、とばかりに睨まれたりするから、そうしたことも面倒くさくてね。
 ただただ我慢して、眠ろうかとあきらめて目を瞑ると、今度は反対側に座った女が鞄の中をガサゴソやっていて、ヒジが当たる、当たる。ヒジ鉄・連続攻撃。「おいおい、鞄の中を探るときは上半身を前に少し倒すだけで、横の人にヒジをぶつけずに済むでしょうに!その前にまず、鞄の中をもっと整理しときなさいよ!!」と心の中で叫びながらも、ああ、バカバカしい。と考え直して、フテ寝するワタシ。
 嫌な現実を早く忘れないと・・。そんな毎日でございます、やれやれ。

さよなら、稀代のパフォーマー!

【Amazon.co.jp限定】namie amuro Final Tour 2018 ~Finally~ (東京ドーム最終公演+25周年沖縄ライブ+5月東京ドーム公演)(DVD5枚組)(初回生産限定盤)(2019年度「Amazon限定写真使用の縦型卓上カレンダー」付)
ラストツアーのブルーレイを観て、只々ため息・・・。
改めて、ダンスに歌に、超越的クオリティのパフォーマーだったのだな〜、と。
そして、もう、これで終わりなのだな〜、と。

というわけで、アムロちゃん関連記事をここにすべてリンクして、彼女への“はなむけ”とさせて頂きます。
(ワタシにはめずらしく(苦笑)アムロちゃんに関しては彼女を称賛する記事ばかりなので、ご安心を。)
『_genic』
マイ・フェイバリット・シングルズ・オブ 安室奈美恵
安室ちゃんを追いかけて〜『FEEL』
現状維持の難しさ〜安室奈美恵『Uncontrolled』
ブランド力〜『Checkmate!』安室奈美恵
安室奈美恵『Past<Future』
『BEST FICTION』安室奈美恵
安室奈美恵『PLAY』
アムロちゃんに見る、正しい復活劇