日曜午後のメランコリー

 土曜の夕方、あいつと待ち合わせて、夕食を共にし、二人で寝る。週末婚?いや俺たちゲイは結婚できませんから!どこまでも交差しない二つの平行線。その2本の線が(今のところ)ぴったり寄り添っているような関係。
 俺、30代前半までは強がって「独りがラク」なんて言ってた。でも40代に近づくにつれ職場での将来も先が見えてきて、体力的にも頭打ちになってきて、そんな時、ゲイである自分にもっと正直になって、自分なりの幸せを探していこう、ふとそう思った。それまでは、ずいぶん無理していたんだと思う。俺、ゲイである自分を受け入れられなくて、「自分の中にある「男が好き」という異常な感情と一生闘いながら生きていくんだ」と密かに決心していた。その闘いは誰にもわからない孤独な闘いだ、なんて。ヒーローじゃあるまいし!だから、他人の前ではいつも「ゲイがバレないように」ってマトモ人間を繕って演じていたから、ホンネで語れる友人は少なくて、いつも孤独だった。皮肉にも俺が演じたマトモ人間は一見とても社交的な男に仕上がってしまったから「彼女いないの?」年中そう訊かれるようになった。それを繕うセリフが「独りがラク」ということだったのだ。
 ゲイを自分のひとつのアイデンティティとして認めてしまうと、それからは生きるのがとてもラクになった。俺には俺にしか体験できない人生が用意されているんだから、自然に正直にそれを追求していこう、とね。
 そして、本当に大切と思える人に出会った。巷に流れるラブソングを聞いて初めて自分のことのように切なく感じた。そして初めて、独りが寂しい、と感じた。日曜日、夜明けのまどろみの中できつく抱き合い、お互いの存在を慈しみながら再びまどろみの中に落ちる。その幸福感。そして、午後、あいつが帰ったあとのがらんとした家の中に漂う言いようのない空虚さ。
 2年前までは、独りぼっちのまっさらな日曜の午後は平穏で、それなりに幸せだった。あいつと逢ってから、俺の日曜の午後は憂鬱なものになったのである。