人肌恋し

 昼食後の仕事中、猛烈な睡魔が襲う。いつものことだ。先日、昼過ぎにいつものごとく一瞬意識が遠のいたのだが、同時に、ふと幼いころの記憶が突然蘇った。
 それは「耳そうじ」の記憶。
 俺の実家は床屋だった。昼下がり、子供の俺はリクライニング状態にした散髪用の客椅子に寝かされ、母に耳そうじをしてもらっている。耳そうじとは言っても、耳かきの柄の反対側(羽毛でできたポンポンの部分、「梵天」と呼ばれるらしい)で耳の穴の中をゆっくりと撫でてもらっているのだ。
 梵天を耳の中に入れられると、まず、外界の音がさえぎられ、現実世界から隔離された気分になる。そして、羽毛が耳の穴の中を回転しながら撫でるたび、痒いようなくすぐったいような感覚とともに、ぼわっぼわっ、と心地良い音がする。そして、その音の繰り返しの狭間で、俺は、いつの間にか心地良く深い眠りに落ちていくのだ。
 そんな穏やかな記憶と、仕事中の居眠りが重なった瞬間なのであった。
 そういえば、久しくそういう経験をしていないなあ・・・と思った。誰かの大きな愛情に包まれながら眠りに落ちるような経験を、だ。
 犬猫も、やさしく頭を撫でてあげると心地よさそうに目を瞑る。手乗りの小鳥でさえ、喉を指で撫でれば気持ちよさそうな顔をする。誰にとっても愛情のこもったスキンシップとはキモチいいものなのだ。耳そうじにしても、自分のカラダの一部を誰かから優しくケアしてもらうという意味で、立派なスキンシップだと思うのだ。しかし、大人の人間、それもオトコの端くれとなると、そんなスキンシップの機会にはとんと恵まれなくなる。機会を探すとすれば、自分の子供にベタベタするか、金を払ってマッサージ屋に行くか、あとはプロアマ相手を問わずひたすらエッチをするくらいしかない。俺みたいな一人暮らしの独身オトコは特に深刻だ。誰かと触れ合う機会なんて、ホントに少ないのだ。
 ああ、久しぶりに、この肉体ごと、誰かに愛でられながら、安らかな眠りについてみたい。
 人肌が恋しい、ってこういうことなのね・・・40過ぎてやっとわかってきた気がするのだ。