太田裕美アルバム探訪〜番外編〜『魂のピリオド』については語れない

 1998年7月。
 今から8年前の夏。その頃、俺は都内のある街で一人暮らしをしていた。職場にも近く、実家からも電車を乗り継いで30分ほどの場所だ。その街は駅前から1キロメートルほど商店街が続き、その外れに俺のアパートがあった。毎日夕方になると、商店主たちの威勢の良い掛け声や主婦たちの世間話が幾重にも重なり、いかにも庶民的な街の賑わいとなって、俺の部屋まで届いてきたものだ。俺はその街が大好きだった。たったの1年しか住めなかったのだけど・・・。
 そんなある日、俺のアパートに両親が訪ねてきた。この街の近くにある、何万本も薔薇が植えられていることで有名な庭園を見に来た、その「ついで」だという。そして狭いアパートに、両親と三十路を超えた独り身の息子が膝をつき合わせたのだが・・・しかしすぐに会話も尽きてしまい、俺は「外で食事しよう」を口実にしてお茶を出して早々に二人を外に連れ出した。
 70歳を超えた父はその1年前に軽い脳梗塞を煩い、杖に頼らなければ歩けなくなっていた。母は少し見ない間に背中が曲がり、また少し小さくなっていた。「老夫婦」、その言葉がいつの間にか似合うようになってしまった両親に、一瞬、はっとさせられる。二人が歩く後姿を少し離れて見ながら、一生懸命におしゃれをして今日ここに来ている二人が愛おしくて、切なくてたまらなくなってしまった俺。「うちから大して遠いわけじゃないのにさ。」なんて憎まれ口を言いながら。
 俺たちは商店街の蕎麦屋に入った。すっかり体力が落ちた父は、とうとう好きなカレーうどんさえ平らげることができなかった。そのあと一緒に行った庭園で薔薇を見た母は、何故か今まで見たことがないくらいにはしゃいでいた。
 父が再び倒れた、と連絡が入ったのは、そのすぐ後のことだ。俺は愛着のあるアパートを引き払い、実家に戻った。翌年、あっけなく父が亡くなり、さらに翌年、母も後を追うように亡くなった。
 1998年7月。今から8年前の夏。
 太田裕美さんが松本隆氏・筒美京平氏と20年ぶりに組んで新作を発表した。俺はお気に入りの街のお気に入りのアパートで、この新作を毎日、聴いた。聴くたびに、懐かしさと同時に、20年という歳月が刻み込まれた「今この時代の現実」が、その声から、メロディから、歌詞から、濃密に迫ってくるように感じた。裕美さんにとって20年の歳月は、確実に形となって積み重なり、熟成を遂げていたように思えた。歳を重ねることも悪くないな、彼女の新作を聴いて、本気でそう思った。
 両親が訪ねてきたのは、そんな頃、だったのだ。だから俺は、いまだにこのミニアルバム『魂のピリオド』を冷静に聴く事が出来ない。無邪気に聴いていた裕美さんの昔のアルバムとは全く違い、少しオトナになった自分が経験した、あまりにも複雑な思い出のあれこれがリアルな状態で溢れてきてしまって、堪らないのだ。時の流れは冷酷に何もかも変えてしまう。しかし、時はただ流れ去るのではなく、それは確かに、どこかで何か形をなして積み重なっているはずだ。俺は、そう思いたい。このミニアルバムが証明してくれたように。

魂のピリオド

魂のピリオド