ウンザリ。

 首相の靖国参拝。賛成・反対の意見は平行線をたどるばかりで、埒があかない。大体において、戦没者遺族ましてやA級戦犯の遺族でさえ意見が分かれているのだから、これは元々どうしようもない話なのだ。テレビで繰り返される議論もいい加減ウンザリなのであった。今日はロンブーでも見ようか、なんて思っちゃったり。
 結局は国政の責任者たる彼が何らかの行動をすることで、それに楔を打つしかなかったのかもしれない。小泉さんの談話も珍しく漏れなく放送されたので、彼もそれなりに考えて行動したということは(何となくだが)わかったし。悔しいけれど、彼の発言・行動にある種の小気味良さを感じたのは確かである。思うツボ。
 靖国問題は国内(心)の問題であって、これは中国や韓国にとやかく言われることではない。それは正論。
 首相として公式参拝し、国のために犠牲となった方々に感謝と敬意を捧げる。それも正論。
 でもね、彼の談話で非常に気になったのは、「抵抗勢力」に対する過剰なほどの反応だ。「いつ行っても批判されるから今日行った」とかね。批判する勢力に対する言い訳(逆批判?)に終始しているように感じる俺は変かな?でもこれらの発言は冷静に読み返すと一国の宰相のものとしてやっぱり俺は、恥ずかしいよ。どうも「どうだ、仕返ししちゃったぞウ」みたいなニュアンスが伝わってきちゃう。
 今一度、よく読んでみよう。

小泉首相談話:
小泉総理「これは毎回申し上げているんですが、日本は、過去の戦争を踏まえ、反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして、今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人たちだけで成り立っているのではないと、戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると、戦争に行って、祖国のため、また、家族のため、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って、靖国神社に参拝しております。今年もその気持ちに変わりはありません。
 今までの、過去五年間のわたくしの靖国神社参拝に対する批判をね、よく考えて見ますと、大方、三点に要約されるんじゃないかと思います。
 まず、ひとつはね、中国韓国が不愉快に思う、反発しているから、止めろという意見。
これはどうですかね。わたしは、日中日韓友好論者なんです。就任以来、現に中国や韓国との友好交流、さまざまな分野で拡大を続けております。そういう中で、どの国とも一つや二つ意見の違い、対立あります。それで、ひとつの意見の違いがある、不愉快なこと、あると、それによって、首脳会談を行わないことがいいのかどうか。わたしは、いつでも、首脳会談を行う用意があると云っているんですよ。しかも、靖国神社参拝を条件にしてね、この、参拝をしなければ、首脳会談を行う、するならば、首脳会談を行わないというのは、果たして、いいのかどうか。わたしは、これはよろしくないと思ってます。
 日本の首相というのは、民主的な手続きによって選ばれた首相であります。日中間、日韓のあいだには、さまざまな課題もある。わたしは、今までの、日中首脳会談、日韓首脳会談においても、未来志向で友好を諮って行こうと、お互い、相互互恵、相互依存関係を深めて行こうと。中国の発展、韓国の発展というのは、日本に脅威というよりも、むしろ、日本にとってもチャンスなんだということをはっきり表明して、未来志向で友好交流を進めてゆこうということを申し上げているんです。それに対して、わたしを批判する方、これは、しかし、中国が嫌がっていることをやるなと。突き詰めて云うと、中国韓国が不快に思うことはやるなと、ということでしょう。これについて、批判する方は、どう思うのか。もし、わたくしがひとつの問題で、わたしが不愉快に思う。まぁ、仮にね。中国韓国は日本の安保理常任理事国入りに反対しております。これは日本にとっては不愉快だと、だから、わたくしは、中国韓国と首脳会談を行わないと云ったら、どちらを非難するでしょうか。わたしは中国が反対しても、韓国が反対しても、首脳会談、いつでも行いますよと、云っているんですよ。今回もそうですね、わたしが拒否しているんじゃないんです。ということは、中国の嫌がることは止めなさいというのが、靖国参拝批判のひとつですね。中国に不快な思いをさせてはいけません。中国の云うことを聞きなさい。韓国の云うことを聞きなさい。
 そうすれば、アジア外交はうまく行きます。わたしは必ずしもそうじゃないと思いますね。ひとつやふたつどの国も、意見の違いや対立があります。そういうのを乗り越えて未来志向で友好関係を進展させてゆくのが、日本としても、他国にしても、大事でないでしょうか。
 なかにはね、小泉はアメリカと親しいと。アメリカのブッシュ大統領靖国参拝するなといえば、しないだろうと。そんなことありません。ブッシュ大統領靖国参拝するなとわたしに云ったとしたとしてもですよ。わたしは行きます。もっともね、ブッシュ大統領は、そんな大人げないことはいいませんけどね。
 もうひとつはね。A級戦犯が合祀されているから、行っちゃいかんという議論。
これはねぇ、わたくしは、特定の人に対して、参拝してるんじゃないんです。この戦争でね、苦しい思いをされ、出来れば避けたかった、戦場に行きたくなかった、多くの兵士がいるんです。そういう方々の気持ちを思ってね、なんという苦しいつらい体験をせざるを得ない時代に生まれたんだろうか。そういう犠牲者に対してね、心からやっぱり哀悼の念を表すべきだなと。これ、日本の文化じゃないでしょうか。 特定の人がいるから、あとの人のことは考えなくてもいいと。一部の、自分では許せない人がいるから。それより圧倒的多数の戦没者の方々に対して、哀悼の念を持って参拝するのがなぜいけないのか。わたしはA級戦犯のために行っているんじゃないんですよ。多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す、二度とこのような苦しい戦争、させてはいけない、そういう気持ちで参拝しているんです。
 それと、第三点、憲法違反だから、靖国神社参拝しちゃいかんという人があります。
これもね、憲法第十九条、二十条、これ、よく読んで頂きたい。わたくしは、神道を奨励するために、靖国神社に行っているじゃありません、今、説明したように。また、過去の戦争を美化したり、正当化するために行ってるんじゃありません。また、軍国主義を賞揚する、そう云うような気持ちで行っているのでもありません。今、申し上げたように、二度と戦争を起こしてはいけないと、戦没者に、戦争に行って倒れた方々、こういう方々の犠牲を片時も忘れてはいけないと、そういう気持ちでお参りしているんです。そして、第十九条の思想及び良心の自由は、これを侵してはならない、これをどう考えますか。まさに心の問題でしょう。これを日本の首相が日本の施設にお参りするお祈りする。 それを外国の政府、もっともだと云って、小泉はいかん、小泉を批判する。これがほんとにいいことなのかどうなのかと、今の日本の誰にでもゆるされている自由という問題をどう考えるのか。わたくしは、伊勢神宮にも毎年参拝しています。その時は何名かの閣僚も随行しています。別にわたしは強制していません。そして、みなさんの前で神道形式に則って、伊勢神宮に参拝してます。そのときに、憲法違反という声は起こりませんね。なぜなんでしょう。
 わたしはこういうことから、賛否両論あっていいんです、日本は言論の自由は認められていますから、今までもわたしはこういうことを答弁なりふだんの話でしているんです。今回もまったく同じ気持ちで参拝しているんです。」

 ひとつひとつ上げ足取りをすれば切りがないからやめるけど、何度通して読んでも、やっぱりこの人、意地っぱりなだけの只のコドモにしか思えないんだけどな・・・。俺、変かな。

 俺は思う。彼や、彼の今回の強硬な行動を手放しで賛成する人たちも含めて、やっぱりどこか
「バランスが悪い。」人たちなんじゃないか、とね。
 だってさ。あの戦争で日本は中国・韓国で虐殺を行った「事実」があるんだよね。勿論彼の国の自衛戦争のなかで中韓人によって殺された日本人もいるけど、本土や東南アジアの戦場で、多くの日本人を虐殺した張本人は本当は「アメリカ人」なんだよね。日本人は中国・韓国にとっての加害者であり、決して被害者ではない。日本人はアメリカの被害者である(それも、今だにね)。そこんとこ、忘れてはいけないのに、忘れてんじゃないの?かつて日本人が、中国・韓国の人たちを大量に虐殺したことを、ね。そして、いま、靖国への参拝を不快に感じているのは、その被害者の国の人々だ、ということをね。
 靖国神社遊就館)における戦争の美化は誰が見ても明らか。俺も行ったことあるけど。戦争で死ぬことを美化して、それを言い訳にして若者を戦場に送り込んだのがあの時代だったのだ。真実に目を背けてキレイ事で済ます、それは昔からずっと日本人の得意技だったでしょ?わかりきっているのに。まだ目を瞑り続けて、A級戦犯には戦争責任はない、というのか?
 「中国は反日教育をしている」って?彼らは日本人への憎しみを子供に植え付けるために事実じゃないことを教えている、というわけ?じゃあ、日本人はどうなんだ。子供にあの戦争の事実をちゃんと教えているの?そんなこと習った覚えあるかい?俺たち。俺は無いんだけど。
 アメリカとは事実上腰砕け外交なのに、中国・韓国へは強硬外交。このバランス感覚の悪さ。何故、中国・韓国の外交で「言いなりになる」ことばかり恐れるのか。彼らばかりを敵外視してしまうのか。それは、彼らが反日運動をするから?靖国問題でうるさいから?軍備増強していて怖いから?それとも、日本の後追いで成長した(日本より遅れている)国だから?きっと、そんな感じでしょ?心の奥底にあるその「根」の部分をもっと我々は掘り下げる必要がある。それがまったく欠落している人が多すぎるような気がするのだ。
 仮にも他国が示した不快感に対して、やはり「何らかの配慮」は示すべきだったのは確かなように思う。その余裕を見せてこそ、むしろ日本のプライドや品位は保てたような気がするのだが、どうだろうか。「心の問題だ。とやかく言われる筋合いはない。」の一言で強行突破される中国・韓国(無視されたことになる)の立場を慮る余裕が、小泉さんには欲しかった。そんなもんは無いだろうけど。
 小泉さんは、こんな言い訳じみた談話をしなくちゃならない事態を招く前に、国民やアジアの人たちに向けて「自分の行動を理解してもらうために」事前にちゃんと今回と同じような話をすべきだったのだ。さもなくばせめて、今までそれをしなかったのは失敗だったと、認めるべきだったのだと思う。
 今日は、平和を祈るはずの日。それだけは忘れちゃいけない。