支配の構図

 桜を見る会でたくさんの著名人に囲まれて、いい気分になったフクダ首相はこんなことを言ったようです。
 「物価が上がるとかいろいろなことはありますけど、しようがないことはしようがない。これに耐えて、工夫して切り抜けていく。それが大事」
 フクダさん、あなたにとっては毎晩高級レストランで飲むワインのランクを一つ下げることが「物価高を切り抜ける工夫」になり得るのかもしれません。しかし、これまでも毎晩の食事のおかずを納豆一つで切り抜けてきたような高齢者が、値上がりした保険料を年金から天引きされた上、物価高の直撃を受けたとき、どこをどうやって耐え、工夫すれば、それを切り抜けてゆけるのでしょう?
 フランス革命前夜。国民が貧困に陥ってパンさえ食べられないことを聞かされた王妃アントワネットが「だったらケーキを食べればいいじゃないの」と言ったとか。このハナシの真偽については定かではないものの、フクダさんの発言からは、この逸話に近いものを感じます。国を司るものとして致命的な、一般大衆の感覚との「ズレ」です。
 先週の国営放送のニュースで、「与党が税制関連法案を衆議院で再可決して、暫定税率を元に戻す」ことについて世論調査の結果を報道していました。それによると再可決に賛成23%、反対26%、どちらとも言えないが43%という結果だそうです。再可決に反対する人が意外なほど少ない結果です。おまけに暫定税率が期限切れを迎えたことを「望ましい」とした人41%に対して、「望ましくない」と答えた人が半数の50%!だったそうです。この結果は、本当に国民の声なのでしょうか?
 私はこう思うのです。与党(国土交通省)や首長がさかんに言うところの「このままでは20年度予算に大幅な欠損が生じ、国民生活に大きな支障が生じる」という脅しにも似たPR・報道の勝利なのではないかと。車を所有している人々限定の「ガソリン代が下がってうれしい」という庶民感覚よりも、おもに車を所有していないような層(あるいは貧困層)に対して「このままではますます生活は厳しくなるぞ」という恐怖感を煽った、その作戦の勝利だったのではないか、と思うのです。国土交通省の無駄遣いや、社会保険庁の杜撰な年金管理など、自分達に不利になることは全部棚に上げたまま。
 果たして報道は公平なのでしょうか。国営放送の世論調査の結果を見て私は、今、人々は脅され、戦々恐々となる中で、いいように「支配層」に操られているような気がしてなりません。首相であるフクダ氏は、景気後退と物価上昇のダブルパンチを知らん顔で「耐えろ。工夫して切り抜けろ。」です。これからこの国はどんどん悪くなる(だからおとなしく言うことを聞け)、とでもいうような、恐怖感を煽る報道ばかりが流されているような気がするのです。
 支配層は、甘い汁を吸い続けるために、その立場を容易に手放しません。これだけ内閣支持率が落ちても衆議院解散総選挙を回避し続けるのは、いま総選挙をすれば敗北して権力を手放さざるを得ないことが目に見えているからです。
 一方、マスコミが今の政権与党をそこまで追い込まないのは、彼らもまた「支配層」だからです。大企業をスポンサーに持ち、私人としても高所得で高齢でも障害者でもない彼らマスコミ人は、たとえ貧困層の取材をしてその声を拾ったとしても、それを少数意見としか思いません。他人事だからです。つまり、フクダさんと同じ。先の国営放送で、まるで与党を後押しするような世論調査が放送されたとき、私はそれを強く感じました。ああ、圧力だな、と。
 コイズミ改革以降、はっきりとした格差社会が出来上がり、それは支配する側とされる側に役割分担されるという、その構図が明らかになってきたように思います。たくさんの弱者が生み出されることによって、おそらく支配する側はますます支配しやすい仕組みになって来ているのです。
 これはもしかしたら、フランス革命前夜に似た状況なのでしょうか?いや、支配される側の民衆に「怒り」のパワーが無い限り、革命は起こらないと思うのです。