庶民感覚の大切さ

 前回のエントリーで言いたかったのは、不条理かつ凄惨な事件が多発しているように見えるけれど、それは社会が混乱していることの影響が大きい(それとマスコミの過剰な報道の影響もある)のであって、必ずしも日本人の本質が劣化・悪化していることばかりが原因ではない、ということだったのですが、少し言葉足らずだったかもしれません。
(「とむ丸」さん、一方的なトラックバックにも関わらず、律儀にお返しいただきましてありがとうございました。)
 言い足りなかった部分を付け加えるならば、戦後の混乱期は恐らく犯罪の発生率は今より遥かに高かったに違いありませんし、無差別殺人にしても、過去にはかの「八つ墓村」のモデルになった岡山県の津山事件や、帝銀事件新宿駅前での都営バス放火事件など、過去の日本のあらゆる時代に起きているもののように思えたからなのです。もちろん、テレビのコメンテーターが盛んに言うように、平均的に日本人の感性が鈍くなっているのは確かなように思いますし、自分を振り返ってみても、周囲との人間同士のつながりは確かに希薄になっているのかもしれません。でもそういった変化は、ネットでつながったこの世界中を見回してみると、何も日本人に限ったことではないように思えるのです。(私は高村薫さんのいう「日本人の劣化」とは、そうした世界的潮流のなかでの昨今のこの国のあまりに急激な変化に対し、作家ならではの感性で「良きもの」を失っていくことへの嘆き、その自虐的表現のひとつであると捉えています。)
 そして今日、こちらをたまたま目にして、私の感覚はそんなに間違っていないのかもしれないな、と思いました。実際、凶悪犯罪そのものは決して増えていないというのです。(ブログ「反戦な家づくり」さん)
 人間40年以上やっていれば、あたかも風潮としては正論と言われているような話でも、自分の感覚としては「ちょっと違うんじゃない?」と思えることが、結局は正しかったりする場合が多いような気がします。(長年ゲイなんぞをやっていると余計にそんなバランス感覚が養えるのかも知れません(笑)。)その意味で、ここ数年の自民党の「断末魔のあがき」にも似た支離滅裂な政治に違和感を抱いている人々が私の回りでも確実に増えていまして、この国の庶民感覚はまだまだ鈍っていないんじゃないかな、と私は信じているのです。そう、それこそが日本国民の潜在力・底力ではないか、と思うのです。一般的に「大衆は愚かだ」と言われる一方で、「国民はそんなにバカじゃない」ということもよく政治家が口にしますが、まさしくそれです。
 以下、話は少しズレますが。
 とにかく自民党は、もともとどこかの国からの資金提供で出来上がっていると言われる政党ですから、その「どこかの国」がいよいよ行き詰まりを見せている今、「どこかの国」が生き残るために押し付けてくる理不尽な要求に応えるために、肝心な日本の国民にとっては支離滅裂に思える政策でも強行せざるを得ない、苦しい立場にいるわけです。我々は毎日のようにそれを見せられているわけですから、やはり「どこかの国」に支配されたマスコミがどれだけ偏向報道をしようとも、普通の庶民感覚を持ち合わせていれば、いまの政治はオカシイゾ、というのは当たり前の話なのだと思います。だって、これだけ原油高で国民が苦しんでいるのに、今だにあの国の戦争のためにインド洋でタダで給油してやってるわけですしね。財源が足りない足りない、官僚の無駄遣いは許すな、と口先だけは言う一方で、米軍基地には湯水のように国民の血税を使っているわけですしね。原油高で走る車が少なくなっているのに、59兆の道路特定財源は必要だ、なんて言っているわけですしね。。。その支離滅裂さ、挙げればキリがないほどです。
 ただ一方で、政権交代のカナメである民主党の支持も伸びていません。あのオザワ氏がいる限り、プチ自民にしかなり得ない、という警戒心が無意識のうちに我々の中に働いているのかもしれませんね。だって私にとって、あの大連立構想→辞任劇は、「これは絶対に変だゾ!」と思わされるエピソードの典型でしたから。同じように思っているイッパン・ピーポーは少なくないはずです。
 私たち日本国民はもっと、自分の感覚・常識に自信を持つことが必要だと思います。
 たぶん、次回の総選挙では政権交代の可能性が高いです。でもそれでも何も変わらない可能性もあります。そのとき、どこかの国の大きな壁を前に、決してあきらめて屈しないこと、それが我々庶民の底力の見せ所ではないでしょうか。