退行している国

 秋葉原の事件にせよ、八王子の書店での殺人にせよ、犯人がたとえどれだけ厳しい境遇におかれ精神的に追い詰められていようとも、結果として無関係な第三者を殺めるという行為に及んでしまう、その思考回路は完全に壊れているとしか思えません。
 隣の人が吸った煙草の煙が自分の方に漂ってきたので、手で払いのけた。それだけで殴られてしまったり。
 ラーメン店で、具が少なかったことを店員に指摘した客を別の客が暴行して死亡させる、という事件もありました。
 事件当時のシチュエーションや当人同士の実際のやり取りは不明ですけど、すべての事件があまりに短絡的だし、これらの犯人からはヒトとして最低限持っているべき理性のかけらも感じられません。
 やっぱり、日本人は劣化しているんでしょうかね。
 いや、必ずしもそうではないようにも思えるのです。
 最近、クロサワ映画のことをよく思い出します。ひとつは初期の傑作「野良犬」。三船敏郎演じる若い刑事が、ある日満員の路面電車の中で拳銃を盗まれる。そして何者かの手に渡ったその一丁の拳銃によって次々と殺人事件が引き起こされ、必死になって拳銃の行方を追う刑事。緊迫感溢れるストーリー展開と、戦後間もない日本の熱気溢れる世相、そして真夏の息苦しいほどの空気感が全編を覆い尽くしていて、その凝縮されたエネルギーと、一方で木村功演じる犯人の若者が抱える心の閉塞感の対比が見事な傑作なのです。
 もうひとつ、昭和史に残る哀しい事件「吉展ちゃん誘拐事件」の引き金にもなったといわれる「天国と地獄」という中期の大傑作がありまして、こちらは高度成長真っ只中の日本が舞台なのですが、円熟の三船が演じる主人公の製靴会社社長と、山崎努演じる誘拐犯の貧しい医学生、その天国と地獄的対比が鮮やかに描き出されています。それは高度経済成長が生み出した社会の歪みでもあり、貧しい医学生が住むスラム街の狭いアパートの窓からは、丘の上に立つ主人公の豪奢な屋敷が見えるのでした。哀れな犯人は、毎日窓の外を見るたび「負け組」である自分の救われない境遇を嘆き、行き場のない怒りを丘の上に住む「勝ち組」に向けていくことになるわけです。この映画の設定も、真夏でした。
 「野良犬」の公開が1949年、「天国と地獄」は1961年公開です。この夏、うだる暑さのなかで、やりきれない事件を目にするたび、ふたつの映画を思い出すのです。
 何だか、時代はどんどん戦後の混乱期の状態に逆行・退行しているような気がするのです。戦後間もない日本は、商売で成功して急激に富裕層が増える一方、それに乗り遅れた人々の中には、捨て鉢な生き方をする若者なども多かったといいます。いま、現代の日本はまさしく同じような状況に置かれているのです。
 歴史は繰り返す、と言いますが、言いかえればそれは、学習効果がない我々である、ということなのかもしれません。日本人の劣化、とは高村薫さんの言葉を拝借したのですが、実は劣化したのではなくて、もともと我々は成長していなかったのかも知れません。たまたま昭和40年代以降から平成でバブルがはじけるまで、あまりにも豊かで安定した生活が約束されていたために、人々に不満がなく問題が表面化しなかっただけなのかも、という気もするのです。
 日本はうだるような暑さが続いています。所得は増えないなか物価は高騰し、人々は将来への不満でいっぱいです。こんなときこそ政治の出番、のはずなのですが、現在の何もしない・出来ないフクダ政権はわれわれに「一層の閉塞感」を加えているだけなのです。その罪は大きいと思います。

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