1990年の夏の日

hiroc-fontana2008-08-06

 1990年、今から18年前の8月6日、そう、確かにその日、俺は広島にいたのだ。
 正直言って、なぜその日に広島に居たのか、よく覚えていない。せっかくの夏休みに一人旅を満喫しようと思って、8月5日、何となく降り立ったのが広島駅で、翌朝、安ホテルで朝食を取りながらテレビを観て、ああ、今日は「あの日」だったんだ・・・と初めて気がついたくらいだったのだから。
 そしてあの日、俺は黙祷が終わった後の、少し閑散としはじめた平和記念公園へ行き、原爆資料館に立ち寄ってみた。
 資料館を出たあと公園を歩いているとき、なぜか突然、涙があふれ出し、止まらなくなった。
 とても不思議な感覚だった。
 名も知らぬ人々、だけどもしかしたら今日、何食わぬ顔ですれ違っていたかもしれない、たくさんの人々があの日、一瞬にして人生に終止符を打たれてしまった事実。大切な人への愛情や、将来への夢、希望、それらをかなえるために積んできた努力、そしてそれぞれが抱える大切な思い出、そんなヒトとしてごく当り前の、だけどかけがえの無い、それぞれの日々の営みが、その一瞬ですべて無くなってしまったのだ。
 そのことが突然、圧倒的な現実感を持って胸に迫ってきて、抑えきれなくなってしまったのだ。
 顔も名前も知らない人たちのことなのに、俺が生まれるずっと前のことなのに、なんだかとっても哀しかった。たぶん、犠牲になった人々の大部分が、生きていれば俺の隣にいたかもしれないような、ごくフツーの人々だったからこそ、余計に哀しかった。そして、それが「天災」によってではなく、ヒトの手によって引き起こされたことであるのがまた哀しかった。
 俺は、資料館を見て、原爆ドームも見た。見ているときはごく淡々と、展示物を鑑賞しているに過ぎなかった。でも、外に出て、何事も無く行き交う人々や、今や昔の面影もない街の賑やかな営みに触れて初めて、失われたものの大きさがわかったように思うのだ。
 この、何気ない幸せな日常が、いかに儚く、そしてかけがえの無いものか、ということを。
 
 こんな些細な体験ではあるけれど、今、小さな幸せを享受する日本人としての自覚があるなら、人は一生に一度はヒロシマ、あるいはナガサキを訪れるべきであると、俺はエラソーに主張したいのです。