20世紀へのオマージュ・続々と〜「ブレードランナー2049」


 久しぶりに映画の話題。
 「ブレードランナー2049」観てきました。前作「ブレードランナーでは2019年のロスアンジェルスが舞台だったものを、そこから30年後、2049年のLAを描いた本作。実際には、1982年公開の前作(本編)から、35年の年月が流れてしまっているわけで。(35年も経てば、あんなにカッコよかったハリソン・フォードも、おじいちゃんになっちゃうのは仕方ないわよね・・・。)
 ワタシ、前作を観たのは高校三年生のときでした。その頃は、2019年なんて夢また夢、映画の中にあるような雑多な文化が入り混じった退廃的な雰囲気と、酸性雨が降り続く都市の沈鬱な雰囲気が、きっと未来なのだろうな、なんて漠然と感じていたに過ぎませんでした。まさか、こんな風にいとも簡単に生き続けて、めでたく2019年を迎えるところまで来ようとは、思いもしませんでした(汗)。 
 当時は日本が世界の中で着々と地位を築いていた頃とあって、映画の中で未来都市の中に「日本的なもの」がたくさん登場するところもどこか「あるかも」と思わせられたものでした。ワタシの好きなジャンル「ナイトメア(悪夢)」要素もたっぷりで、劇中のあちこちに謎解きのカギ(その多くは解明されないのですが)が潜り込ませてあって、本当に当時から何度も映画館に足を運び、DVD化されてから「完全版」を購入、ことあるごとに何度も見返しているほど、大好きな映画でして。だから、自分としては珍しく、公開2日目という超速攻でこの続編を観てきたわけです。
 続編の感想としては、少し冗長なところを除けば、前作に敬意を表して真摯に作られている印象で、カルト的ファンを持つという前作の「熱狂的ファン」の期待にも応えているのではないかな、と。個人的にはとても面白かったし、映像もとても美しくて、満足できました。ただ、これ、少なくとも前作を観ていないと「??」なことが多すぎるし、2019年から2049年までの30年間の時代背景などをセリフから追うだけでとても労力が要って(苦笑)、それこそ「カルトファン」でないと、ポカンとしてしまうのではないかな?なんてことも思えました。正直、ワタシもその「空白の30年間」がよくわからなくて、家に帰ってネット検索したら、実はオフィシャルHPでちゃんとそこを説明するショートムービーも公開されていて(その中のアニメ版(監督は日本人の渡辺信一郎さん)が素晴らしいのです)、「は〜、いまどきの映画はこんな風にマーケティングが展開されるのね」などど、2017年という“あの頃の近未来”を改めて感じたりもしたわけです。
 実はもう一本、最近観た映画がありましてね。それが「エイリアン・コヴェナント」なんです。あの、「エイリアン・シリーズ」の前日譚の2作目。こちらは本編が1979年公開。ワタクシ、当時は中三(笑)。
 いまハリウッドでは、「エイリアン」にしろ、「スター・ウォーズ」にしろ、「猿の惑星」にしろ、20世紀の名作シリーズものがここにきて続々と前日譚やら後日談やらスピンオフ的なものまで、数多作られていて、それがどうも個人的には腑に落ちないというか、映画界の行き詰まり感とでも言いますか、確実に私たち・かつての映画ファンの動員が見込める企画に安易に流れ過ぎているような気がしてならないのです。
 まあ、最近のそうしたオマージュ作品は総じて当時のシリーズのイメージを壊さないよう丁寧に作られているというのも確かに感じられるところなのですが、それにしても、本編でナゾとして残されていたエピソードはナゾのままだからこそ良かったりもするわけで、オマージュ作品ではその「ナゾとき」に終始するばかりに、結局、辻褄合わせでストーリーが複雑になってしまい、ナゾが深まっていくという迷宮入り作品も多いように思えます(「エイリアン」シリーズはまさにそこにハマってしまっています)。
 まあ、ワタシたちおじさん世代は、こうして今ごろになってあの頃の作品の続編が見られる悦びを感じつつ、同時に「あー、やっぱり本編の方が良かったな〜」などとノスタルジックに耽ることを素直に楽しんでいればいいのかも知れませんけどね。