厄年について

 40代になって自分なりに経験も積み、多少世渡り上手になってきたような気もしていたけれど、ここ最近の周りからの風当たりの強さというか、あれこれ言われ度数の急上昇にはさすがにヘコむ。
 自分を世渡り上手なんて思うこと自体、本来とても不遜な考えであって、周りの人々を見下す気持ちがどこかにあったんだと思う。生来シャイで付き合い下手な自分の本質部分は変わっていないのだから、たまにはそんな自分の魂と向き合ってあげないと、どこかで上滑りして破綻を来たすものなのかもしれない。人格なんて、結局砂上の楼閣というか、マッチ棒を積んで作った櫓という程度なのかも。自分がナニモノかに成れた、なんて思うには、50年いや100年早いのだ。
 まあ、歳をとれば自然に自分より若年者が増えてくるわけだから、いつの間にか図々しさも身に付いてしまうし、当然「初めての出来事」なんていうのも少なくなってくるから恐い物知らずにもなるわけで、それを少し勘違いしちゃってた自分を反省。40代は「不惑」というけれど、長年のうちに習慣化された行為に及ぶ時は確かに「不惑」だ。何するにも若い頃よりずいぶんラクになった。だけど歳とともに当然「責任」や「やっかいごと」も続々と押し寄せてきて、舵取りを間違うと横風に煽られて一気に転覆、ということになりかねない怖さがあるように思う。謙虚さを忘れてしまうとね。
 思えば俺も一応、厄年。男の厄年は、そんな「オトナになりたて」世代に潜むあぶなっかしさを警告しているものかもしれないナ、と思った。体にガタが来ること以上に。
 あ、そういえばまだ厄払いしてないや。