愛聴盤2「12ページの詩集」

hiroc-fontana2005-03-22

 太田裕美、76年12月発表の5枚目のオリジナルアルバム。91年にCDリイシュー。
 太田裕美のアルバムの中でファンからの評価が高いのは、松本隆筒美京平という最強の布陣が製作に関わった初期・中期の作品が多いが、時代的に言うと、表現者である太田裕美が最も乗っていた76年から77年の3作品(『手作りの画集』『こけてぃっしゅ』そして、本作)はハズレがない。何より太田裕美の声が圧倒的に良いのがこの時期なのだ。中でも彼女のセールスポイントであるファルセットが最も美しく冴えているのが本作であると思う。
 前作『手作りの画集』での彼女の声はまだ「ミルキーヴォイス」(ミルクというよりママの味=ミルキー)という印象で、甘ったるい幼さが残っている。一方、次作『こけてぃっしゅ』では、喉の調子が落ち初めているためか、ファルセットにかすれ感が目立つ。(78年に入ると、低音のくぐもり感・高音の声密度の薄さが顕著となり、それまでの声とは明らかに変化してしまう。)その狭間にある本作での彼女のヴォーカルは、失恋を歌った歌が多いためか全体に大人びていて、声は地声・裏声が低音・高音の区別なくすべての音域で溶け合っているように聴こえる。敢えて低音部分を裏声で聴かせる歌い方は、初期の松田聖子が得意としていた唱法(「青い珊瑚礁」がその代表曲)で、独特の優しいニュアンスを醸し出すのに有効だ。しかし、力を抜いたファルセットで低音を響かせるにはある程度の声量を必要とする筈であるが、太田裕美はもともと声量で勝負するタイプの歌手ではないのだ。どうやらここでの彼女は(間もなく喉と痛めてしまうことから推測するに)そういったテクニック云々より、「声そのものがファルセット」に聴こえていたのではないだろうか?と俺は推測する。(俺はこの時期の裕美さんの声を「カルピスヴォイス(=爽やかでコクがある、飽きない味)」と勝手に名づけたい。)そんな、一瞬の、奇跡的な声を封じ込めたアルバムという意味で、数多い太田裕美の名盤の中でもこの作品が俺の一押しなのである。
 さて、この『12ページの詩集』では、実はゴールデンコンビ作品はシングル「最後の一葉」1曲のみで、その他は宇崎・阿木ペア、田山雅充、荒井由実伊勢正三山田パンダ、イルカ、谷村新司など、当時のフォーク・ニューミュージック系のアーティストによる提供曲を中心に、5曲を作詞した松本隆を軸として全12曲が違った作家の組み合わせで構成されている。いわば、松田聖子をはじめとする80年代アイドルのアルバム作りの雛型、先駆けといえるだろう。
 多彩な作家から曲提供を受けたアルバム作品というと、曲のバラつきが気になるところ。この作品も、時代を感じさせるフォークソングぽい「失くした耳飾り」「赤い花緒」や、やたらと重厚な「ガラスの腕時計」、シングル曲「最後の一葉」などが強いて言えば全体のまとまり感を阻害している感も無くは無いが、それらを補い、すべて一定のレベルに引き上げるほどの魅力的なヴォーカルが、この時期の太田裕美には備わっているように思う。
 ある意味では、太田裕美が初めてゴールデンコンビから離れ、フォーク・ニューミュージックのメインストリームに飛び込んだこの作品が、「アーティスト」ではなくあくまでも「歌手」である太田裕美という存在を皮肉にも宣言することになったのかもしれない。その後の彼女の急激なポップス・歌謡曲への路線変更ぶりを見ると、余計にそれを感じてしまう。

  • このアルバムこの1曲

 とても良い曲が多くて選ぶのに迷ってしまうが、あえて地味目な、アルバム4曲目「カーテン」(詞:松本隆、曲:ケン田村、編:筒美京平)を。冬の張り詰めた、透き通った空気。部屋の中にひとり、破れた恋を繕う女性。思いっきり内向きな歌詞なのだが、太田裕美のヴォーカルは冬の弱い日光に揺れる白いレースカーテンのようになめらかに透き通っている。筒美系のスタジオミュージシャンであったケン田村による瑞々しいメロディーも、筒美先生によるスティールギターをメインにした控えめなアレンジも、すべてが窓から眺める冬の青空のように澄んで美しい。全体の中では地味な曲ではあるが、秋から冬にかけての季節感に溢れ、ゆったりとしたイメージを持つこのアルバムを象徴する1曲である。