生きる意味について考えてみた

生きていくことの意味って何だろう?
最近よく考える。

人が生きていく意味。
誰かを愛すること?次の世代を育み、残すこと?
次の世代に何かを伝えること?
この世界のために何かをすること?
自分の納得がいくまで、好きなことを存分にすること?
いろいろな経験を積み、悟っていくこと?
死ぬまで、ただただ楽しむこと?
さて、結局、この世の生きとし生けるものは、ただ全体が「繁栄する」ために生かされているのではないだろうか、と思う。種にしても、文明にしても、すべてはより良く・多く・大きく・盛んになる方向に自然のベクトルが働いているように感じるからだ。(逆のベクトルが働くのは、それが行き過ぎた場合だ。)

その大きなうねりの中で、われわれ「個」はただ、流されるだけのように見えながら、しかし確かに、その流れを構成する一つにもなっている。
そこが肝心だ。
つまり、そんな計り知れない大きな流れの中の、ほんの一瞬のちっぽけな人生であっても、それぞれに与えられた「個」を分相応に、表現していくこと。生きるって、それに尽きるんじゃないかな、なんて思う。
幸せな家族も、開発途上国の貧しい子供たちも、障害者も、ゲイの人々も、認知症の老人も。そして、草花も、虫も、魚も、ペットの犬猫も。
意識する、しないにかかわらず、自分をそれぞれの場で相応に表現していくことから、確実に少しづつこの世界の何かは変わり、そしてそれが「繁栄」の奔流に変化をもたらすに違いない。そう思うのだ。時が流れていく限り。

無理せず、自分は自分として、人生の中で与えられたものをありのままに、しかし精一杯、活かして表現していく。
そして、周りはそれを認め、自分の人生への示唆があれば尊重し、お互いに取り込んでいく。
皆がそんな風になれたら、きっと素晴らしいだろうね。
少なくとも、俺はそれに近い生き方をしていきたい。そう思う。