九月の感傷

 9月だ。1年の3分の2を終えたことになる。一般に「四半期」という捉え方はあるものの、1年を3分割する考え方はあまり採用されないようだ。「四季」があるのだから当たり前か。
 しかし、3分割の考え方で、1月、5月、9月を節目と考えてみると、むしろ四分割よりしっくりくるような気がするのは俺だけだろうか?
 1月は1年のスタート。「新春」という言葉に凝縮される、新たな出発に彩られる季節の始まり。
 5月は熱い季節の始まり。若葉が萌え、すべてがカラフルに輝く時期の始まり。
 そして9月は収束の始まり。活動を終え、静かに一年の果実を愉しむ、充実の時期の始まり。
 9月がどこか感傷的な気分を誘うのは、一年の最盛期が確かに過ぎたという、喪失感にある。そう、もう峠を越えたのだ。あとはひたすら、1年の終わりに向けて進むのみ。

めぐる季節の彩りの中 一番淋しい月
          (「September」竹内まりや 詞:松本 隆)

 この世界の営みのベクトルが、動から静へ、陽から陰へ、展開から収束へと、明らかに転換する唯一の季節。 それが、9月。
 俺はといえば、この夏に大きく力強く枝を広げたかけがえのない「つながり」が、どうか枯れることなく、終息を迎えることなく、実を結ぶことを静かに祈る、このごろ。