ゲイ的年頭雑感

 俺はゲイだが、昨年あたりから、ゲイである事についてある種の肯定的な捉え方ができるようになってきた。つまり「折角ゲイとして生まれてきたのだから」というような考えだ。
 ゲイだからといって、男と女の中間の性を与えられているわけではないし、人間を超越した高みからこの世界を眺められるわけじゃない。美輪さんのようにはいかないの。俺はひとりの男で、ただ愛すべき対象が男、というだけ。そんなに大それた存在じゃないことはわかってる。
 だが、子供を持たず、異性を意識することもなく過ごす一生は、生物学上強いられるべき役割分担から開放されることになるから、ある意味とても曖昧な存在であるけれど、それは別な捉え方をすれば、とても自由な「個」であるかもしれない、と思うのだ。(個はすなわち「孤」でもあるわけだが、それは今回言及すべき主題ではない。)
 父親、一家の主として守らなければいけない家族。それは俺にはないし。
 男として守らなければならないプライドという幻想。そんな表面的なものは端から必要ないし。
 他人が羨むような地位や名誉や財産。独り身でそんなものは残すだけ厄介だし。
 俺が守るべきことは、今日本人の中で、そうしたものを失うことの恐れが元凶となって、あちこちで生まれている偏狭な主義主張の数々や政府の不穏な動きに、どう対峙していくか、なのかもしれない。ひとりの人間のささやかな幸せが守られるための最善の方向を、しがらみから脱却した自由な「個」人として、責任を持って選択していくこと。小さな、しかし確実に今後の流れを形作る意思のひとつとして。それが、ゲイとしての俺の在り方のように思えて。
 元旦のテレビ番組で、女性人気占い師が珍しく涙ながらに訴えていた。「このままでは30年後に日本は無くなる、日本人は難民になる」と。俺はそれを(いつものように)笑い飛ばすことができなかった。少なくとも、食料の自給率が50%を切り、少子高齢化が異常な進行を見せ、経済も頭打ち、近隣諸国から嫌われているこの国に、昭和30年代並の発展が訪れることは2度とないのは確かだろうから。
 では、どうするのか?身軽なゲイの身分を活用して、難民になる前に身ひとつで海外移住すれば済む話なのか?そうなる前に、何とかしたいのよ。ゲイとして生まれてきたなりに、それを生かしてね。ま、そんな感じで2006年を迎えてます。ことよろ。