ブロークバック・マウンテン

ブロークバック・マウンテン (集英社文庫(海外))
 先週の日曜日にひとりで鑑賞。ただ、映画館到着が上映ギリギリだったため、前から2番目の端っこの席で、座席に横座りの状態での2時間あまり。ああ、侘しさ倍増。
 さて映画の方は、ゲイの仲間うちでも賛否両論で、どちらかと言えば「イマイチ」という声が多い。ただそれはアカデミーでの評判などで期待が過分に膨らみすぎた結果といえなくもない。俺も最初の印象はその通りだったわけで。
 例えば、二人があまりに唐突にコトに至る、その経緯。一切の連絡もとらずにいた二人の4年間の思いはどうだったのか。そのあたりが今ひとつわかりづらくて、何だか歯がゆさが残ったのである。まあ、もともと主人公はストレートの二人なわけで、おまけに原作者は女性だから、俺たちゲイがいくらその心情に近づこうとも、二重三重のフィルターがかかってしまっているわけで、無理無いのかもしれないが。
 ただ、そんなことで「理解できない」と判断を下してしまうには勿体無い映画だ。今も、何か温かいものが心に残る。これは何なのだろう。そしてなぜ、あれほどまでに世界各国の多くの人々に感動を呼び起こしたのか。そこを考えてみなければ始まらないように思う。
 俺はこう思う。例えば、青少年期、仲間と何日かの旅行をしたとしよう。何日も寝食を共にし、それこそ裸のつきあいを続けたあと、最終日にその仲間たちと別れるとき、何とも切ない気分になった経験はないだろうか。俺には、ある。何度も。(ちなみに吉本ばななも、ある小説の中でそんな気持ちを綴っていた。)別れる段になって、それまでの数日間の思い出が濃密に迫ってきて、いとおしく切なくなってしまうのだ。それは、友情と呼ぶにはあまりに甘い感情であり、むしろ恋愛に近い感情であったような気がする。もう、仲間たち(大概はもっとも仲良くなった一人なのだが)のことを「大好きだ〜」と叫んでしまいたくなるような気持ち。
 万人に訴える部分は、そこなんだろう、と思う。ましてや、同じように孤独な境遇を過ごし、初めて他者に心を開いた青年たちが、数ヶ月間をふたりきりで過ごした結果、熱い感情のほとばしりが生じたと考えれば、それはむしろ、いかにも「あり得る」ことのように思えてくる。その上、二人は「男」であり、動物的な反射でコトが起こることも想像に難くないわけで、唐突な展開は、そうして考えれば決して不自然ではないのだろう。そして、山を下りてからの4年間は、社会に適応するために只々必死だったのではないかと。そしてその間も、ずっと「素晴らしい山」を思い続けていたに違いないと。
 この主人公たちの、山を下りたあとの実生活での生き難さを思うと、山での夢のような生活を忘れることができない気持ちが、決して理解できないものではなくなってくる。ブロークバックマウンテンでの愛に満ちた日々は、その後20年以上にわたり、二人の心の拠り所だったのだ。そこを思えば、寄る辺無き現代人にとって、とても切ない心の物語に思えるのは当然なのかもしれない。
 もう一度、じっくり味わってみたい映画ではある、ただし今度はいい席でね。