「華氏911」&「クラッシュ」

 夏休みを利用してのDVD鑑賞。『華氏911』の方は、やっぱり見ておかないと、と言う感じでレンタル店に入る前から決めていたんだけど、『クラッシュ』は新作の棚で見つけて「きゃー、DVD化を待ってたわ♡」ということでその場で即決。
 でもこの2本、簡単に言ってしまえばアメリカの暗部にスポットを当てた映画、ということで共通するものがあったのね。ベスト・チョイスだったのかも。

 もう2年も前の映画だから当たり前なんだけど、この映画の前半部分で暴き出している、911テロにまつわる「胡散臭い部分」やその後のイラク戦争に向かうまでのアメリカ政府の茶番はもう周知の事実になっていることばかりだから、正直観ていて退屈な感じもあった。これは観る側の事情だから仕方のないことだが。
 俺が印象に残った、というより普遍的なメッセージとしてMムーア監督が最も描きたかった部分だと感じられたのは、息子をイラク戦争で失った中年女性のエピソードだ。その女性の家族は皆、兵役に就いた経験があり自分の子供にも入隊を勧めた、と胸を張る女性。「国のために戦うのは当然」と自らを愛国主義者と言って憚らなかった彼女が、息子の戦死に直面して一転、戦争の空しさに気付いて慟哭の日々を送ることになる。その姿を淡々と追うカメラ。戦死する直前に息子から届いた手紙には、この戦争の理不尽さとそれを意味もなく続けるブッシュに対する怒りが綴られていたのだ。彼、Mムーアにしては茶化した部分が全くないこのエピソードの中に「戦争は無駄だ。特に我々一般国民には何ら幸福をもたらさないことを、我々は知るべきだ。」という彼の強い(反戦の)主張が込められているように思えた。
 そしてもう一つ。政府のお粗末な地域政策のもとで寂れた田舎町を、制服を着て「若者をスカウト」して歩く海兵隊員を追ったくだりだ。そう、実質失業率5割ともいうその街では、若者は軍隊に志願するくらいしか食べていくあてがないのだ。彼ら貧しい層が、権力層の企てた利権まみれの無意味な戦争に駆り立てられていくという構図が、Mムーアの視点から次第にあぶり出されていくのだ。その田舎街こそ、実はMムーア監督の故郷なのであった。
 ふと思った。今の日本がマネしようとしているのは、こんなアメリカの姿なんじゃないの?
 ポピュリズムに支えられただけの、どう見ても程度の低い2世指導者に騙されて、足元は酷い状況なのになす術もなく、システムに組み込まれたまま進まざるを得ない無力な大衆。気付いた時にはもう、手遅れ。なーんだ、アメリカも日本と一緒だったんじゃん。ははは。
 ハハハ、と笑ったあとで、冗談じゃないよ、と笑顔が凍ってしまった。
 今こそ、ひとりでも多くの日本人がこの映画を観て、「気付いて」ほしいな。

  • クラッシュ

 単なる群像劇・ヒューマンドラマ、と思っていたんだけど、何だか後味が悪い。いい映画には違いないんだけど・・・。何故?
 いまだにアメリカに蔓延る人種差別がこの作品の底辺に流れる一本の線なのだが、登場人物たちの抱える不幸の大部分が、結局はその人種差別に帰結してしまうような「単純化」が、ここでは行なわれているような気がしたのだ。意図的か無意識かはわからないけれど。
 人間はみな、弱い。弱いからこそ、偏見が生まれ、そこから逃れられない。そのテーマは分かる。人種差別は、人種の坩堝であるアメリカ社会の弱点のひとつ。そこに光を当てたのも良い。でも、それで「おしまい」になっていないか。「そこで生まれる弱者にも、家族愛という救いがあるじゃないか」と、アングロサクソン特有の(?)単純思考に終わっていないだろうか。偏屈な見方だろうが、結局は、勝者である白人たちが自分の醜い部分を曝け出したことに対する、自画自賛の映画なのではなかろうか、とさえ思えてしまったのだ。象徴的なのは、M・ディロン(久々に見た)扮する差別主義者の白人警官が、以前侮辱したことのある黒人女性を命を懸けて救出するシーン。あそこから、一気に興ざめした俺なのであった。なんだ、やっぱ白人は「ヒーロー」なんじゃん!みたいな。
 「ブロークバック・マウンテン」を押し退けてアカデミー賞作品賞に輝いたこの作品。インテリ白人層が多いと言われるアカデミーの審査員が、訳知り顔でこのアメリカの暗部を取りあげた作品に投票したであろうことも、なんだか頷けるのである。
 今回はなんだか皮肉ばっかりになってしまったが、よく出来た作品には違いない。「天使のマント」のエピソードなんかも、良かった。ただ、こんな社会を作り上げてなお、グローバルスタンダードなどと開き直って、それを外国にも押付けようとしているアメリカ人がますます嫌いになっている俺なので、今回はちょっとムキになって批判してしまいました。この映画を愛する方、ごめんなさい。

クラッシュ [DVD]

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