歯がゆい指先

 昨日の日記、言いたいことがどうもまとめ切れてなくて、読み直して我ながら歯がゆいのである。うーん、歯がゆい。
 俺が言いたかったのは、対話なしの強硬手段は、やはり最後の手段であって、しかもそれは一国の宰相が他を押し切って率先すべきものではない、ということ。直接対話が出来るのは、彼らだけなのだから。対話に対話を重ねて誤解を取り去って、それでも誤解が消えないなら、最後に別の手段を考える。それが、国の指導者のあるべき姿だと。
 それに、指導者のそんな姿につい熱狂的になりがちな自分たち国民も、もっと冷静にならないといけない。俺たちにとって何よりも大切なのは、平和で幸福な生活でしょう?みんな、同じはずなんだよ。自分の家族だけじゃなく、日本人だけでもなく、人間みんな、同じはずなんだよ。雰囲気に騙されて熱狂する前に、もっと足元を見て冷静になって、色んなことを想像しなくちゃいけない。
 たとえば、相手にしているのは、みんな、生きている「人」だ、っていうことをね。得体の知れない「国家」や「共産主義」が相手じゃなくて。
 そうすれば、小さな諍いは消えないかもしれないけど、偏見や、大きな争い(ましてや無差別に爆弾を落とすなんてこと)は、きっと無くなっていくと思う。
 終戦の日に寄せて、中年ゲイのつぶやき。
★今日を機に、UTSプロジェクトに参加したいと思います。