歪曲報道

歪曲(わいきょく)報道

歪曲(わいきょく)報道

 今、高山正之著「歪曲報道」という本を読んでいる。コイズミ&アベ政権へのあからさまなヨイショとか、ネットで話題になっているイーホームズ社長の告発に対する黙殺など、最近の我が国マスコミの偏向ぶりに幻滅させられるいま、この本のタイトルに思わず食指が動かされる人も多いだろう。俺もそんなひとり。
 しかし正直言って、この本、バランス悪いです。
 かの南京虐殺については、すべて中国の捏造だと言い張る。JR福知山線の事故については、過密ダイヤや懲罰的日勤教育を「ありもしないもの」と断じ、全ての根源は旧動労国労の体質にあるとする。そして歪曲報道の発信源としては朝日新聞、NHK、TBS等を槍玉に挙げている。(あ〜アベシンゾーはこの人と同じ事、きっと考えてんだろうな〜、てことがよくわかる論理展開なのだ。)
 つまりは、元産経新聞社会部デスクであったこの著者は、「反共」の立場で報道のあり方を語っているに過ぎないのだ。(だからフジサンケイグループの悪口はほとんど、ない。)
 俺としては、こういったマッチョな考え方の人の文章は読んでいてちょっとムカつくことが多いのだけど、それを我慢して読みんでみると、この著者の考え方には的を得ている部分も多いように思う(偉そうに言わせてもらえばね)。大体、このテの人は、多少の論理破綻があることを知ってても強気で押し通すことで、自論に説得力を与えるのが常套手段なのだ(すべてホンキで思い込んでるとしたら恐いことだけど)。ここはガマンを重ねて読み進めてみるのが良い。
 リベラリスト護憲派、反ウヨクの人々(俺もその一人と自認しているのだが)の弱さは、彼ら右傾派の提示する現実的な危険や恐怖、実際に他国からしばしば示される悪意などに対して、決定的な反論ができないところではないか、と思う。理想論だとか、非現実的だとか批判される部分だ。
 たとえば他国との友好関係について。各国が国益を最優先するのは確かに当然のことであって、国際間の友好関係は、すべて国益にかなうからこそのタテマエでしかない。そのうえ、全ての人間が性善説で説明できる世界ではないことくらい、誰でもわかる話だ。日本国内の状況を見ればなおさら。
 そんな中で、著者の指摘するように只々他国の顔色を伺い、トラブルを避け、オトナの顔をして自分(国)を主張しない日本の外交スタンスは確かに問題があるように思う。それが、今の日本を取り巻く状況の難しさのすべての根源のような気がする。ただし、著者の言うようにそれがすべてサヨクとか朝日新聞のせいだとは思わないけど。
 最近、中川ノンベエ自民党政調会長とか麻生タロー外務大臣が、核保有に関して「議論すべき」と発言して話題になった。もちろんそれが「核を持つべし」論の展開であれば断じて許せないけど、その後の政府側の主張は、微妙に変化してきた。
 なぜ、「核を持たない」のか、それをハッキリさせておくための議論なのだ、とね。
 議論のスリカエもいい加減にしろよ!と言いたくなるのは抑えて、主旨がそうであるなら、これはこれで必要だ、と俺は思う。単に憲法9条に書いてあるから、と言うのでなく、核を保有しないのは「今の国民の総意なんだ」という積極的メッセージを出す意味で、例えば憲法から国防から外交から経済まであらゆる観点から、核を持たない積極的理由づけのための議論は必要だと思うのだ。
 先の議論のスリカエ以外にも、ここにきて貸金業規制法案の特例高金利の撤回とか、共謀罪法案の再見送りとか、少しだけ与党も反省が見えて我々が想像していた最悪のシナリオにはならずに済んだものもあり、胸をなで下ろすところだ。これには(公明党の発言力増大とか参院選対策とかはあるにせよ)世論の影響は少なからずあると思う。たとえ優柔不断でも自分の主義主張に反してもいいから、国民の声に耳を傾け、路線変更も厭わない。政治を司る人々には、そういった柔軟性が不可欠だ。あとは障害者自立支援法とか、地上波アナログ放送停止を決めた電波法だとか、コイズミ政権の負の遺産が見直されていく動きになればなお良いのだが。
 いずれにしても、ウヨクサヨクそれぞれが自己の論理矛盾や弱点を自覚しつつ、正面から対等に議論を交わす本来の議会政治の復活を望む。そして日本はそれによって初めて、国内にも国外にも正しく主張できる本当の「独立国」になるのではないだろうか、この極端な本を読みながらそう思った。
 たまには持論と正反対の意見にじっくり耳を傾けてみるのも良い。