銀ブラ随想

 東京では素晴らしい秋晴れが続いている。昨日、ちょっと用事があって晴天の銀座を久々にぶらり歩いた。最後に日比谷方面に向かったのだけど、丸の内周辺が様変わりしていてびっくり。有名ブランドの高級ブティックがずらーっと並んでいて、まるでマンハッタンの5番街みたいになってんのね・・・・5番街は行ったこと無いけど。そんでもって真っ昼間から結構客が入ってるのよこれが。ふーん、超リッチ層って本当に出現しているんだね、と目からウロコな感じでした。不景気極まりない下町でどっぷり下層生活に浸かってる俺としてはね。
 その後は、まあ自分には関係ない世界だしね、なんて強がりで自分を納得させて。やっぱり都会の繁華街を歩くと気分が華やぐなあ、今日は来て良かったよ、なんて無理やり気分転換を図って。
 でもね。最近の俺はつい、こんなことを考えてしまうのよ。「こんな無理に無理を重ねたドンチャン騒ぎも、あと何年続くのかな」なんてね。そうすると、丸の内通りですれ違うウキウキと華やいだ顔の人たちを見ても、何だかみんなが急に哀れに見えて来ちゃったりする。みんな、のん気な消費生活がずっと続けられるものと信じ込んでいるんだろうなあ。みたいなね。
 これって、黒澤明の「天国と地獄」で山崎努が演じた犯人役と同じで、恵まれている人々に対しての嫉妬心と被害妄想が入り混じった歪んだ見方なのかもしれないけど。やばいやばい。
 そういえば「天国と地獄」といえば、日本映画史に残る傑作サスペンス映画だけれども、戦後の高度成長期の最中に生まれた格差社会が背景になっている映画なのだ。いまの自民党がなぜ格差を容認しているのかというと、かつての日本にも格差は存在し、それを乗り越えて「一億総中流」になった経験があるから、あくまでも格差は「景気拡大の副産物」として捉えているからに違いないのね。でも、そこが、間違いなんだよね。
 今のまま続いていっても誰もが将来に夢を見られるような世の中では、なくなっているんだもの。もうとっくの昔に。
 かつて、みんなが夢を見て突っ走ってきたがゆえの、見落としていた(無視していた)問題の数々が、負の遺産になって、今俺らを痛めつけてる。環境問題、エネルギー問題、少子化年金問題・・・・。
 「できれば、せめて今の状態が長く続いてくれるだけでも、いい。続いて欲しい。でも、多分、もう限界かも。」
 そんな不安がきっとみんなにある。だから世の中、ちょっとヘンになっているんじゃないのかな。ああ、ブランドのバッグもコートも要らないから、明日への希望がほしい。そう思った。