洋楽耳

 「アルバム探訪」という企画を立ち上げて、ナマイキに全曲レビューなんぞしてみて、ああ、俺はやっぱり「洋楽耳」なのかも、と再確認した。
 どういう意味かというと、やっぱり俺って、あんまり歌詞にこだわらない音楽の聴き方をしてるよな、ということね。
 そう自覚したそもそものきっかけは、1年前までつきあっていた元カレとの音楽的な相違、と言ったら大袈裟だけど音楽の趣味の違いの話に遡るのだ。その元カレ、音楽好きでよくオススメCDを貸してくれたんだけど、どーも俺にはあんまりイイと思えるCDが無かったのね。それで、彼が音楽をセレクトする理由をさりげなく確認してみたら、イチバンのポイントは「歌詞」ということらしいのね。つまり、彼の心情に寄り添う歌詞を書けるアーティストであること、そこが最大のポイントなわけ。だから彼としては、恋愛している相手なら(それも日本語がわかるなら!)この歌・アーティストの良さをきっと分かってくれるはず、と思ってCDを貸してくれていたらしい。けなげだね。
 でも、俺ときたら、CD聴いても、歌詞はほとんど気にしてなかったのだ。だから「感想は?」とか聴かれても困るばっかりで・・・。
 そう、それが「洋楽耳」。
 つまりね、俺、子供の頃はもちろん歌謡曲もいっぱい聞いたけど、ある程度イロケづいてからは正直言って、どちらかというと洋楽一辺倒だったんです、カミングアウトしちゃうと。ま、洋楽といってもカーペンターズとかオリビア・N・ジョンとか、少し大きくなってB・ジョエルとか、とてもメジャーな人たちが中心だけど。そこではもう、いいメロディー、かっこいいサウンドに浸れれば、言葉は全然わからなくても、ソラミミアワーみたいに聴いたまんまを意味不明なカタカナに変換して聞いたり歌ったりすれば、それで満足だったのね。
 「海老しゃららら、海老ウオウオ。」これは何でしょう?→正解は「イエスタディ・ワンス・モア」のサビね。そんな感じ。
 サザンの「勝手にシンドバッド」は意味不明の歌詞で芸能界に衝撃を与えたけど、そんなことは小学生時代に俺がやってたわけで(笑)。(そういう意味では、サザンの桑田さんなんかも典型的な洋楽耳なんだろうね。レベルが違いすぎるけど。)
 というわけで、洋楽耳の自分にとって、いい音楽はメロディーであり歌声を含めたサウンドであり、結果として歌詞は二の次になってしまったのだと思う。
 そんな自分が唯一、ずっと大好きだった太田裕美さん。彼女の作詞を担当した松本隆氏はその意味では多分、とってもビジュアルに訴える言葉を使う人だったから、こんな俺にも日本語の歌のよさを十分伝えてくれたのかもね。改めてスゴイと思う、松本隆さん。
 ちなみに俺、日本の歌でもいまだに歌詞は集中して歌詞カードを読まない限り意味が把握できません。これってただバカなだけかな。