凡人の憂鬱

 ふたつ前の日記に追加したいことがあるのであえて書く。
 俺は「サヨク」ではない。今のニッポンはおかしいし、滅びに向かっているとさえ思うけれど、革命したいとは思わない。それよりも日本人の良き伝統である「謙譲の精神」「質実剛健」「目上を敬う心」「共生精神」などなどを守り生かしつつ、世界の中で存在感を示していくことが大切だと思っている。
 だから、ジェンダーフリー皇室典範改悪も、反対。日の丸掲揚や君が代斉唱は、賛成。でも、アメリカ式新自由主義は反対だし、防衛省昇格も9条改悪も反対。
 そして正直に言ってしまおう、俺は安倍シンゾーを、コイズミほど、嫌いじゃないのだ
 こんなこと書くとリンクしている「under the sun」から破門されちゃうかな。
 安倍シンゾーには確かにコイズミとは比べ物にならないほど黒いスキャンダルが数多く付きまとっている。それを安倍シンゾーはすべて承知しているのかもしれない。
 でも俺にはそれは逆に安倍の「弱さ」に思えてならないのだ。つまり、強欲な取り巻き連中を御することができない「凡人」としての弱さだ。なぜそう感じるかというと、最近とみに御用評論家たちが彼、安倍に対して「苦言」を呈し始めているからだ。コイズミのすることに関しては、マスコミはことごとく提灯記事を書くか、もしくはスルーするかのどちらかだった。しかし、安倍に対してのマスコミは明らかに論調が違っている。桜井よ●こなど、安倍シンパの評論家でさえ、あえて批判記事を書くありさま。孤高で変人のコイズミには誰も近づけないエキセントリックさがあった一方、凡人のオボッチャマ安倍くんには強欲な連中が取り入り易い「純粋さ」があるような気がするのだ。つまり、たかられやすい弱さが。その結果迷走を始めた政局に業を煮やした御用評論家たちが一斉に突ッコミを入れているという構図。
 安倍が情熱を傾けた教育基本法は、言うなれば今の日本を建て直すための「ショック療法」として手をつけざるを得なかった部分も多分にある。(そのやり方や改正法の内容には問題はあるにしても。)
 また安倍の本質でもあるタカ派の考え方は、憲法9条下での我が国の曖昧な国防のあり方をより「はっきりとした」ものにすることで、独立国としてのアイデンティティを取り戻したいという、これも国家建て直し論の一環であると捉えられる。(だとすれば自衛軍とするのではなく9条堅持・自衛隊解散・アメリカ軍追放という方法も立派な「独立宣言」だと思うのだけれども。)
 そんな風に考えると、彼の思想は表面的に見て総じて純粋に日本の建て直しに向かっているとも言え、俺としてはその意味で「美しい国」というキイワードも理解できなくはないのだ。
 しかし、たぶん、凡人の安倍シンゾー君は困ったことに、その精神を実現するに当たって、あまりにも無自覚なまま古い自民や官僚どもに都合よく「利用され」「たかられて」しまっているのではないか。その結果が今の支離滅裂な政局運営と支持率低下なのではないかと。
 つまり、悪の元凶は安倍シンゾー本人ではなく、その本人の在り方(弱さ・実行力のなさ)と、腹黒いその取り巻き連中なのではないかと、思えてしかたがないのだ。