サザンオールスターズ「シャ・ラ・ラ」〜あの頃のサザン〜〜その他よもやま話

シャ・ラ・ラ
 1980年11月発表のシングル。なぜいまさら唐突にサザン?みたいな。
 それは季節がら「好きなクリスマス・ソングは何だろ?」っていう自問自答で出てきた答え、それがこの曲だったから。「自問自答」てのが悲しいけれどね(笑)。
 この「シャ・ラ・ラ」は、桑田さんとハラボーの息のあったハーモニーが心地良い小粋なデュエットソングで、サザンでは珍しいAOR、もしくはブラコン路線。でもね、今や「ジャパニーズ・モースト・グレート・スタンダード・グループ」なサザンには信じられないくらい、売れなかったのよねこの曲。最高位29位、売上8万枚。オリジナルアルバムにも未収録。とってもイイ曲なのにね。
 デビュー当時(78〜79年)のサザンは姉貴(当時20代後半)が良く聴いていたけど俺はといえばまだチュウ坊。姉貴がいくらイイ!と言っても俺には何だか下世話な音楽にしか聞こえなかった。湘南の香りはしても海岸でブイブイいわすワルイお兄さん・お姉さんの香りに近い感じがして、やっぱり姉貴ぐらいオトナになって酸いも甘いもかぎ分けられるくらいにならないとワカンナイ音楽なのかな、と思っていた俺。どうやら同時期に流行ったシャネルズと同じカテゴリーで捉えていたような気がする。桑田さんのダミ声やテレビでのハチャメチャなパフォーマンスの印象も強かったしね。
 それは名曲「いとしのエリー」を聴いてもあまり変わらなかった。でもその後、「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉に御用心」でのアイデア満載のメロディーラインに初めはビビっときて、80年に入っての「5ROCK-SHOW」と題された連続シングルリリースで発表された曲たち(「涙のアベニュー」「恋するマンスリー・デイ」「いなせなロコモーション」「ジャズマン」「わすれじのレイド・バック」の5曲)を順に聴くうちに、どんどん俺の中でのサザンは「スゴイバンド」に変身していったのね。この、レゲエありジャズありロカバラありロケンローありのダイナミックレンジ。しゃれたイラストで統一されたジャケットもホントにカッコよかったしね。ジャズマンいなせなロコモーションわすれじのレイド・バック
しかし悲しいことにこの連続シングルリリースはセールス的には失敗で、結局トップテンヒットは1曲も生まれず、その後にインターバルを置いて発表されたこの「シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー」も大ヒットには至らず。サザンのシングルトップテンヒットは82年の「チャコの海岸物語」まで待つことになってしまうのね。
 一方この間にもアルバムでは『タイニイ・バブルス』『ステレオ太陽族』という傑作アルバムを堂々チャートのトップに送り込んでいて、80年初頭のサザンは完全にアルバムアーティストだったと言えるのかもね。当時のサザンは確かにアルバム収録曲にこそ名曲がいっぱいあったし、アルバムがとても充実していた気がする。『NUDE MAN』『人気者で行こう』あたりが俺としてはベストかな。そこからすると90年代以降のサザンにはどうしても無難なシングル中心のメジャー・バンドのイメージがしてしまう(のは俺だけかな)。実際、最近のサザンのアルバムは数回聴くとあとはあまり聴かない作品が多くなっているような気がするのだ。これはまあ、サザンに限らずユーみンでも聖子でもド●カムでもミス●ルでもそんな感じかもしれないけど。つまりは第一線でのキャリアが長く音楽性も一貫しているアーティストというのは、言うなれば彼らの持ち球はすでに出尽くしていて、残されているものは「バリエーション」でしかないのかなあ、と。だから数回聴けば、ああそうか、と思っちゃう。要は、やっぱりどこか食傷気味なわけね。厳しく言ってしまえば、ファンは気が付かないけれどやはり賞味期限を過ぎてしまっている人が多いのかな、と。うわ、やばいこれ?まあ、賞味期限ぎりぎりが美味しい、なんて話もあるけどね(汗)。
 つい懐かしくなって80年代のサザンを聴きまくっている俺なんだけど、もう80年代だけでこんなに沢山、素晴らしい曲があるんだからそれだけで幸せじゃない?なんて全然フォローになってないか・・・。