世界の片隅で・・

hiroc-fontana2007-02-14

 久々に海外旅行をしてきた。
 海外旅行の良さは何かというと、普段の生活環境から完全に分離した状態で過ごせることと、もうひとつ、今この瞬間にも世界各地でさまざまな人々がそれぞれの人生を生きている、それを肌で実感できることではないかと、俺は思う。
 うまく言えないけれど、つまり、普段はちっぽけなことで悩んだり、人間関係で不快な思いをしたりするけれど、そんなことはせいぜい自分の半径数メートルの出来事に過ぎなくて、普段自分が見ている世界よりも、本当の世界はもっともっとダイナミックで柔軟なのだ、ということ。何せ70億近い人の人生を同時に飲み込んじゃっているのだから。たとえば香港の街角でたまたま拾ったタクシーの陽気な運転手とか。イスタンブールのバザールで値切りにしぶしぶ応じてくれた若い売り子とか。バンコクの渡し舟で乗り合わせた明るく溌剌とした女学生たちとか。旅行をすると、俺の人生もそんな中のちっぽけなひとつに過ぎないと、自然に実感できるような気がする。でもそれは決して自分を卑下しているわけじゃなくて、世界中の人々の人生が自分の人生と同じようにとても愛おしく思えてきちゃうってことなのよね。あ〜みんな一生懸命生きてるよなあ、なんてね。
 翻って、性懲りも無く戦争を続けて罪も無いイラク市民を何十万と殺したブッシュとか、その戦争に加担したうえに例の大ボケ「ウム・キカイ」大臣を擁護し続けるアベ君なんかは、自分らの「偉大な」人生に比べればそういう市井(しせい)の人々の人生なんぞ、取るに足らないちっぽけなものとしか見ていないんじゃなかろうか??或いはもしかしたら、そういう人々にもそれぞれ人生があり生活があることを想像することすら出来ない輩なのかもしれないな、と思えてしまう。
 自分たちが儲けることしか考えていないくせに、企業の競争力を高めることが日本のためだとかヌカして法人税を下げろとか消費税を上げろだとか残業代をカットしろだとか、とんでもないことばかり政府に要求し続けているミタライ某やオクダ某なんかも、そうだ。日本経済の牽引役を買って出ている彼らの自負心の根底には「自分の特別な能力によって得た利益の一部を人民に分け与えてやっている」というウヌボレがあるのはミエミエだからだ。「The winner takes it all」。勝った者がすべて取っていく世界、そのど真ん中に彼らは居るわけだから。彼らはまず自分の取り分をたっぷり取ったあとで、みんなにおすそ分けする程度にしか思っちゃいないはず。だからいくら数字上では景気が良くなっても、いつまでたっても国民の財布には跳ね返ってこないのは当たり前なのだ。
 ブッシュ、アベ、ミタライ...彼らもそれぞれの人生を生きているのには違いないが...。おそらく多様な人生への想像力が決定的に欠けているであろう彼らは、逆にわれわれよりも狭くて貧しい世界に生きているのかもしれないな。
 そんなことを考えてしまった俺は、いまだに時差ボケなのだ。