中島みゆき『ララバイSINGER』

 日本において70年代から4ディケイズ(10年間が4回ということ)にわたって、ナンバー1ソングを放った唯一のアーティストが中島みゆき。ライバルと称されるユー○ンはおろか、あのサザンでさえなし得ていない偉業。70年代では77年の「わかれうた」。80年代では81年の「悪女」。90年代は94年の「空と君のあいだに」と95年の「旅人のうた」。そして2000年代に入ってはあの「地上の星」。まあ、「地上の星」は00年だからちょっとインチキっぽいんだけど、それでも「旅人のうた」から5年以上空けての1位だから、それだけでもすごいことだ。
 時に酒場で歌う演歌のようであり、時に猛々しい軍歌のように聴こえ、時に歌謡曲ど真ん中のポップさを湛え、そして最後は究極のヒーリングミュージックになる・・。みゆきさんの曲にはいつも、老若男女を問わず、日本人の心の琴線に触れる何かがある。30年以上の歳月が流れてもそれは変わらない。だから彼女の音楽は愛され続けているのだと思う。
 ゲイにみゆきファンが多いというのも、その老若男女をも超越した懐の深い世界に救われている者がいかに多いか、という証拠のように思う。
 『ララバイSINGER』の公式紹介文にはこうある。

「原点に立ち返り、中島みゆき自身の中にあり、またファンが求める"中島みゆきの王道"を素直に表現したアルバムです。」

 実際に聴いてみて、本当にそうなっていることにびっくりした。ここ数年の彼女の作品には、どちらかというと舞台「夜会」での「観せる表現」を意識したかのような、抽象的な言葉選びが目立っていたような気がする。そこに、若干の苛立ちと喰い足りなさを覚えていた従来のファンも少なくなかったように思う。
 それがこの『ララバイSINGER』では、見事なまでに従来通りの、鋭く的確な言葉で紡がれた歌が並んでいて、まさに"中島みゆきの王道"的な作品になっている。様々な試行錯誤を経たアーティストが「原点回帰」を謳うことはよくあることだが、それがあくまでも本人の解釈による原点回帰に過ぎず、ファンの期待からかけ離れたものである場合が少なくない。その点今回の彼女の原点回帰は、まるで着地点が毎回同じ体操選手のごとく、見事な原点への着地を見せているように思う。それはつまり、彼女が常に今の自分の立ち位置を正確にわかっていたということであり、そんなところが4ディケイズを生き抜いてきた彼女の強さなのだと思う。
 オープニングのフォーキーな「桜らららら」(これは70年代から温めていた曲だそう)から始まり、前半は「ただ・愛のために」や「宙船」など他の歌手への提供作品が並ぶ。岩崎宏美(70年代)、工藤静香(80年代)、華原朋美(90年代)と、その提供先の歌手も各時代の代表歌手たちが並んでいるというシカケ?そして最新ヒットはジャニ系の男歌「宙船」。みゆきさんが歌うと一気に性別を超えた深みのある応援歌になっちゃう凄さ。
 それ以外にも、最近の「夜会」用の曲に近い趣きで哲学的な「」、 優しくうららかな歌声で聴かせる「五月の陽ざし」、「見返り美人」「横恋慕」などの系統に分類されるユーモラスなポップソング「とろ」など様々なタイプの曲が並び、飽きさせない。圧巻は最後の2曲。「重き荷を負いて」は、80年代の「ファイト」から90年代の「誕生」「PAIN」などの流れを汲む、これぞ中島みゆき、という「大慈・大悲」観に縁取られた壮大なバラード。「這い上がれ、這い上がれ〜」のフレーズなど、まさにワーキングプアに苦しむ人々への応援歌のようだ。そしてオーラスはタイトル曲「ララバイSINGER」。彼女のデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」のコール・アンド・レスポンス的な曲というだけあって、「アザミ嬢〜」をはじめ「あばよ」「この空を飛べたら」等得意のマイナー・ワルツで、70年代のみゆきが甦ったような作品だ。ララバイSINGER〜誰も子守唄を歌ってくれない人は自ら唄びとになる〜。まさしくこれはみゆきさん自身のことか?するとこの曲、そしてこのアルバムは、これまでの中島みゆきの歩みの総括的作品のようにも聴こえてくる。だとしたら・・・ひょっとして・・・??