女王さまたちの愛情表現

 ニュー・ミュージック界の大御所、三大女王(ってのもヘンな言い方だけど)と言えば、ユー●ン、みゆき、まりや、で決まりでしょう。彼女たちの凄いところは自作自演はもちろん、他のアーティストへの提供曲でも名曲が多い、ということ。いわば、作品を生み続けるマシーン(産む機械?)、もとい!働き蜂を従えて巣の真ん中で卵を量産し続ける「女王蜂」みたいな感じね。だから、女王なの。
 で、産みの親としては当然、他者に提供した作品といえども生み出した曲たちにはそれぞれ愛情があるわけで、それは多くの場合「セルフカバー」という形をとって示されているような気がする。そこで今回、三大女王における、「産みの親」としての他者への提供曲に対する愛情の示し方の違いについて、ちょっと考察してみようと思う。
 まずは中島みゆきさん。おかえりなさい彼女の場合、研ナオコ、ジュンコ、芳恵、静香姐さんなど歴代コラボ歌手が多いぶん提供作品も多いわけで、それら提供作品だけを集めたアルバムも多数リリースしている(「おかえりなさい」「御色なおし」など)。近年はオリジナルアルバムに1曲〜数曲という感じで収められることが多いが、全体に寡作になっていく中で、提供曲はほとんど自分でも歌っている人。自作曲への愛着度は三人の中でも随一と思われる。でもみゆきさんの良いところは、本家の歌唱とカブらないように周到に「みゆき節」に塗り替えていること。静香の「慟哭」のセルフカバーなんて「こんなんアリかよ?」みたいなアングラな仕上がりで、逆にパロディーになっちゃったり。つまり「この子はあんたに上げたの。よく育ててくれたわ。でも今日は、久しぶりに一緒に遊ばせてね。」という風な、親権放棄・養育料負担のキャリアウーマンタイプの母親が、みゆきさん。
 続いてはユー●ンYuming Compositions:FACESこの方は、もともと提供曲は呉田軽穂ペンネームで提供して、自演する作品とは分けて作る「代理母」タイプ。あとから「変なアイドルに曲を作ったことを後悔してる」的な発言を言ったとか言わないとか。(・・・セ●コのこと・・ね。)「お金のためにやったわけだから、あくまでもヒマ潰しに過ぎないのよ。」という風を装っている割りに、それらの提供作品はクオリティも高くてほとんど洩れなく大ヒット、ということで、その辺がきっとユー●ンさんのプライドをくすぐるのでしょうかね?そんな彼女も03年には『Yuming Compositions:FACES』というセルフカバーで「瞳はダイアモンド」を取り上げて、見事に産みの母っぷりを見せてくれたけどね。
 さて、問題は竹内まりやさん。REQUEST彼女の場合、それまでに提供したアイドルの曲を今までに5〜6曲カバーしているのだけど、それが全部、本家を軽く凌駕するハイレベルな「まりや作品」になっちゃってるのね。ホント、全部が全部、まりやが歌った方が、いい出来なのだ。明らかに「お口直しにどうぞ」な感じなのね。確か、まりやがアキナに提供した「駅」という曲を、アキナがあまりに自己流の解釈で歌っちゃったことで曲の良さを台無しにされた、とプロデューサーでもあるダンナの達郎が怒っていたのを雑誌のインタビューか何かで読んだ気がする。そう、たぶんあの夫婦、こだわりがあまりにも強くて、自分たちの可愛い子供がすくすくと育つためには、学校や友達やオモチャまで、満足のいくように自分で選ばなければ気がすまない、教育ママ・セレブタイプと見た。だからまりやさんは最近はほとんど曲提供はしてないし、達郎ダンナも、キ●キみたいな超セレブにしか曲を提供しないもんね、そういえば。
 みんな、それなりに愛情は強いようだけど、その表現方法は三者三様。↑この感じ、なんとなくわかるでしょ?