映画『かもめ食堂』と俺のシンプルな休日

かもめ食堂 [DVD]

かもめ食堂 [DVD]

 DVDで鑑賞。公開から1年以上経つのだけれど、気になりながらも、こういう「ほのぼの系」映画はどこか自分に余裕が無いと観られないような気がして敬遠してしまっていた。今日は誰とも会わないし(約束を反古にされちゃったのだ)、ホントな〜んにもすることがない1日で、あ、そうだ、と思いついたのがこの『かもめ食堂』。
 俺って貧乏症なのね、たぶん。休み恐怖症というか、何にもしないで家に1日いたりすると凄く損した気持ちになってしまう。最近は特にそう。やっぱり老い先短い気がしてるのかしらね無意識のうちに(笑)。
 家でゴロゴロしながら「ほのぼの系」のDVDなんか観ているより、「世を憂いている」なんて偉そうなことブッコイてるくらいだから、ボランティアとかもっと有効な時間の使い方もできるでしょ!とか、おしゃれして外に出れば、素敵な出会いが(万が一でも)あるかも知れないし!みたいに思っちゃう。まあ実際にはそんなに簡単な話じゃないし、何より本音では億劫に思っていることも自覚しているから、結局は「そうそう、あれやっとかなきゃ・・・」みたいにひとり芝居でごまかして、家中を掃除しちゃったりして「エセ充実感」を演出したあげくに、気付けば今日も誰とも会話しなかったわ、みたいな。そんな感じで40代小市民ゲイの休日は過ぎていくのだ。
 話は逸れたけど『かもめ食堂』、そんな俺のモヤモヤとした気持を爽やかに吹き飛ばしてくれました。登場人物は、恐らく孤独を抱えた人たちばかり。「恐らく」というのは、その辺の説明はほとんどストーリーから省略されているから。この作品では、北欧フィンランドヘルシンキを舞台に、小林聡美扮する独身女性が経営する「かもめ食堂」に出入りする人々が織り成す、淡々とした、それでいて不思議に温かい日常が描かれていく、ただそれだけ。ストーリーらしいストーリーは無い。人々が無駄なくシンプルに暮らすフィンランドという国で、毎日は淡々と、ゆったりと過ぎていくのだ。ひょんなことで店を手伝うことになった女性たち(片桐はいりもたいまさこ)は、日本人同士でありながら最後まで敬語で会話し、根掘り葉掘りプライベートなことをお互いに聞いたり話したりしない。それぞれの過去の話は、知り合ったお互いが今この瞬間、シンプルに暮らしている中では不要なもの、ということなのかもしれない。そもそも、言葉さえ、不要なのかもしれないのだ。そう、無駄なものを極端なところまで削ぎ落としてみたら、きっと人はもっとフツーに幸せに暮らしていけるのかもしれないよという、究極のロハス映画なのでしょう、これは。
 それと、忘れてならないのは、食べること、だ。誰かヒトの手によって作られたものを食べる、ということがとっても大事なことなんだよな〜、そう思わせてくれる映画なのだ。極端に言えば「生きる」って「食べる」ことなんだよね、てこと。だから、この映画の舞台は食堂。
 そういえば俺、一日家にいても三食しっかり食べるので、今日みたいな日はご飯の支度と後片付けばっかりしてる気がする。まさしく生きるのと食べるのがニア・イコールな感じ。夕飯でビールなんか飲んじゃうと確かに「あ〜幸せ」と思えるし、シンプルっちゃあシンプルな生き方だけど、この映画のセリフ「誰かに作ってもらうだけで美味しくなる。」これが実践できないのが、弱点なのよね、俺の場合(笑)。あゝ侘びし。