中島美嘉『YES』

 映画主題歌で「歌謡ロック」に嵌ったかと思えば、ニューオリンズまで行ってゴスペルにカブレちゃったりで、中島美嘉はもう終わった・・・と思っていたこのごろ。そんな時に「見えない星」を聴いて名曲「Will」の頃の輝く美嘉ちゃんが強烈にフラッシュバックしてきて「おや?」と思わされたそのタイミングで、このアルバム『YES』がリリース。勢いで思わず手を伸ばしてしまった、「かつての」美嘉ファンも多いのでは?実は俺もその一人。巧い売り方よね。
 それでこの『YES』、濃厚なホワイトソースみたいな美嘉ちゃんの「ベッタリ・ハスキー声」と、相変わらず贅沢なサウンドは健在で、やっぱり中島美嘉はアルバムで聴くのがイチバン、と思わせてくれる充実作。ゲップが出そうです。脂っこいものを食べると、脳内麻薬が出るとかなんとか聞いたことがあるのだけれど、美嘉ちゃんの声にもそんな効果があるのかもね。聴いていて気持ちいい声なのは確かよね。
 でも、美嘉ちゃんの魅力は何といっても「歌謡曲っぽさ」にあるような気がする。それは音楽が歌謡曲っぽいというより、その中島美嘉という歌手の成り立ちが、歌謡曲って感じなのね。それはつまり、素材となるひとりの女の子をプロが寄ってたかっていじくり回して遊んでる、という図式がね。だから、たまに本人のキャラとは明らかにミスマッチな奇っ怪な作品も出来ちゃったりする(このアルバムにも収録されている「All Hands Together」は、明らかにその類よね)けれど、そんな無茶な遊びの中でとんでもない傑作が生まれたり(何と言っても「Love Addict」は凄かった)するところが、「歌謡曲システム」の持つ面白いところだと思うのね。歌謡曲好きにとっては、今活躍しているシンガーで、その醍醐味を味わえる唯一の人が中島美嘉、と言っても過言じゃないように思うのだ。
 このアルバムでも、お馴染みのLori Fine(COLDFEET)をはじめとしてRYOJI(ケツ○イシ)、奥田○生、宮沢和史佐藤タイジ(シアターブルック)、持田香織などの豪華な面々が参加していて、1枚のアルバムでこれだけのミュージシャンを集められる歌手って、今は美嘉ちゃんくらいでしょ?それが往年のモモエや聖子やアキナのアルバム作りに近い感じがするわけ。もちろん、お金をかけているには違いないわけだけど、それでも参加するメリットが無ければやっぱりプライドの高いミュージシャンは断ると思うのよね。その辺が「歌謡アイドル・美嘉ちゃん」の凄いところ。
 その期待を裏切ることなく、今回も絶妙に未完成さを残した歌唱を縦横無尽に展開してくれる美嘉ちゃん。ゴスペル調の「All Hands Together」はどうやっても彼女のキャラでは無いし、「JOY」でのカタカナ・イングリッシュも恥ずかしいことこの上ないのだけれど、それもアイドルならではのご愛嬌。アルバム全体のサウンドはといえば、郷愁を誘うアメリカ南部のカントリー・ロックのテイストが全編に散りばめられていて、ちょっと負けが込んでいたニューオリンズでの「他流試合」を確実に昇華していて、これがなかなかいい感じのだ。ちょっと70〜80年代の洋楽を聴いているような雰囲気で、ゲイのオジサンでもリラックスして聴けちゃう。本家とは全く別物として聴かせてくれるオザキのカバー「I Love You」、切ないケツメサウンドとのコラボが新鮮な「素直なまま」、打って変わってしっとりジャジーな「The Dividing Line」。どれも素晴らしい。その頂点がシアターブルックの「汚れた花」。これがイチバン好き。(ゴリゴリなロッカバラードに、俺、弱いのよ。)
 でもそんな中にあっても美嘉ちゃんは終始「イってない」感じがするのはなぜか。(「本格派」になりきれていないというか・・・。) その答えはたぶん、彼女は自ら「歌うために生まれてきた」なんてヌカす歌姫さまではなく、いじり回され続けるアイドルだから。つまり我々リスナーも実は、彼女のボーカルの完璧さを楽しむ、というよりは、未完成な彼女をおもちゃにして思いっきり遊ぶ「大人たちの音の遊び」を一緒に楽しんでいる、といったほうが正しいのかもしれない。
 だから美嘉ちゃんは、いつまでも未完成なまま。それでいい。だからこそ、いいのだ。