セイコの中のモモエ

 山口百恵と言えば、70年代の大スター。一方、松田聖子は80年代を代表する大スター。
 モモエさんは結婚を機に潔く引退し、家庭で幸せを見つけた「古風な女」。セイコさんは結婚・出産、そして離婚を経てもなお、現役アイドルを続ける「働く現代女性の代表」。常に自分の実年齢より上の女性に成り切って表現した百恵、常にカワイイ女のコのまま歌世界での成長を止めた聖子。ドメスティックなマイナー歌謡曲を得意とした山口百恵サウンド指向のメジャーなポップスで成功した松田聖子
 80年代のスタートと同時に鮮やかにポスト百恵の座を射止めた松田聖子がなぜ、その栄光を勝ち得たかについて言及するとき、よく言われることは「百恵の対極だった」ということであり、冒頭に上げたのはその比較例である。もちろん聖子が大スターとなるべき逸材であったことは言うまでもないが、時代がポスト百恵に求めていたのは、あくまでも「亜流」ではなく「対抗軸」となり得る新しいもの、だったのは間違いないように思う。
 しかし、この大スターふたりを「キャリア」で比較すると、意外な共通点が見えてくるのだ。そしてそれを追求していくと、おぼろげながら「時代を代表する大スター」たる必須条件のようなものが明らかになって来るような気もするのだ。今回はそんな大それたテーマに沿って書こうと思う。
 百恵さんが結婚しても引退せずに活躍を続けていたら、いまも果たして伝説の大歌手として評価されていたか。それはあくまでも想像だけれど、俺は「ノー」だと思う。なぜかというと百恵さんはもう80年の引退時点で、明らかに飽きられて始めていていたし、その歌声・その音楽は一昔前のものになりつつあったからだ。セールスを見ても百恵さんは80年に入ってから明らかに右肩下がりの状況が続いており、引退曲「さよならの向こう側」もオリコン初登場がトップテン圏外、最高位も4位どまりだったことからもそれは伺い知れる。デビュー8年目を終えようとしていた百恵さんは(あまり言われないことではあるが)、引退劇がなければ「落ち目」を迎えようとしていたのは間違いないように思う。おそらく、今彼女が現役であったとしても、芸能界では「ジュリー」と同様の立ち位置にいたのではないか、と俺は想像する。
 さて、ここまでの話で何が聖子に結びつくのかと言えば、それは「8年」という歳月だ。松田聖子の場合、発売中止となった「プレミアム・ボックス1980〜88」や、2000年発売の20周年記念BOX『Seiko Suite』の選曲でも明らかなのだが、そのキャリアの中心、制作サイドからもファンからも最も輝いていた時代とされているのは、デビューした80年から松本隆とのコラボが終わる88年頃までであると言える。そう、聖子ポップスがオンリーワンの世界を形作っていたのは(途中、結婚による活動休止の1年間を除けば)8年間なのだ。「いや、聖子はその後も活躍してるでしょ」という反論もあるとは思うが、その後の松田聖子はというと、かつての聖子の亜流、悪く言えば「抜け殻」に過ぎないように思うのだ(いかがですかファンのみなさま?)。一見変わらずに聖子ポップスを貫いているように見える、今の松田聖子は、80年代に伝説を作った大スター・セイコとは似て非なるものであって、もはやあの時のセイコの亜流でしかないということだ。だから、新しさも輝きも、ない。
 引退した百恵さんと同じように、あの頃の聖子ちゃんは8年間というキャリアを終えて、タイムカプセルの中に封印されたのではないか、俺はそう思う。たかが8年、されど8年。88年を境に、自作詞やセルフ・プロデュースという形で自らケリをつけた松田聖子は、すでに一時代を築いてしまった者として、その歳月の限界を敏感に感じ取っていたのではないだろうか。だとしたらセイコって、本当に凄いんだけどね・・・。ちなみに88年の聖子さんのシングルはと言うと「Marrakech(4.14発売)」売り上げ18.2万枚、「旅立ちはフリージア(9.7発売)」売り上げ20.9万枚。連続1位記録は更新したものの、確かにパッとしませんでした。そして、90年には彼女、アメリカに旅立っちゃうわけで。
(つづく)