将来展望、なし(笑)

 40代、ゲイ。家族なし。地位・名声なし。貯金なし。
 こんな俺だが、一人前に借金はある。親の唯一の遺産だった古い家を2年前にリフォームしたとき組んだローンだ。ちょっとまとまった額。あと14年間はこれを返し続けなければいけない。
 でも考えてみれば、ローンを組んだときに生命保険にも加入させられていて、いわば「命と引き換え」の借金なわけだから、死んじゃえば御破算なわけだ。だからせめて生きているうちは、借金を返すことばっかりに囚われずに、積極的に人生を楽しまなきゃ損だよね、なんて思う。借金を返すことが人生の目的になっては、いけないと思う。もちろん生活は楽じゃないけど、アプローチをちょっと変えれば、人生はきっと楽しめるはず。そう思わなきゃ、やってらんないしね。
 で、本題。例の年金問題なんだけど、俺が思うに、問題となっている5000万件すべての年金記録がたとえ完璧に復元されたとして、果たして今後加入者全員に満足な年金を支給できる展望は有るのか?という次なる問題が残る。それが解決されない限り、不安は解消できないような気がするのね。特に俺らから下の若い世代にとって、年金不信の最大の要因は「将来、自分達は本当に年金をもらえるの?」という不信感なのであって、年金記録の話とは別の問題だと思うのだ。
 つまりは冒頭に挙げた無い無いづくしの中に俺の場合「もらえる年金なし」、結論として「将来展望なし」、ていうのが加わってしまいそうなわけです。この、年金システムの根本的問題を議論してくれ、っていうのは確か先般の「郵政選挙」でも国民の多くが争点にしてほしいと望んでいたテーマであって、今回の参院選でも相変わらず上位に食い込んでいるテーマなのだ。でもそんなのを無視してコイズミは必要も無い「郵政民営化」のワンフレーズを狂ったように叫ぶだけだったし、安倍くんも「憲法改正」の一点張り。おまけに安倍くんときたら、消えた年金問題が急浮上してきたとたんの右往左往。根本的解決には程遠い付け焼刃の法案を強行採決で乱発するのみ。こんなんだから、いつまでたっても我々の不安は消えないわけよね。
 見方を変えると、いままで年金記録がこうも杜撰に管理されてきたというのは、お役人や社保庁の人々にとって、この年金システムは将来破綻するという確かな共通認識があって、あえて放ったらかしにされてきたのかもしれないな、なんてことも思う。つまりは、年金システムそのものが既に内輪から見放されているということね。
 忘れてならないのは、我々が納めてきた大切な年金保険料の無駄遣いを繰り返してきた、社保庁や国の責任は確かに重大だけれども、消えてしまった年金記録以上に、消えてしまった「年金支払い原資」を元に戻すことの困難さだ。「覆水盆に返らず」であって、責任追及でどうなる話でもないのだ。社保庁長官が何人退職金を返済したって、これまでの無駄遣いは返しきれない。
 だから、こんな年金のために保険料を毎月ウン万円も払い続けるくらいなら、将来に備えてタンス預金でもする方が余程安心だと思うし、それよりむしろ、今を精一杯楽しんで生きる、という道を進んだほうが健全な生き方のような気がしてしまう俺なのだ。
 だってさ、価格高騰する食糧の問題とか、奪い合いが始まったエネルギー問題とか、もう後戻りできない環境問題とか、人間という種の存続さえ危ぶまれる大問題が山積しているこの地球上で、バラ色の将来展望を描ける人は余程シアワセな人なんだろうな、と思わない?何とかしたいけど、何から手をつけていいか、本当にわからないんだと思うよ。安倍くんも。
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 ・・・こんな救いの無いことばかり書いてもしょうがないね・・・ゲイの戯言・・。
 一応、こんな俺でも「より人として役に立つ生き方」を日々考えながら生きてるってことだけ、言い訳しときますね(笑)