セイコ・ソングス5〜「瞳とじて」

Baby’s Breath
 最新アルバム『Baby's Breath』より、今イチバンのお気に入りがこの「瞳とじて」。タイトルからしてアリがちでパクリっぽいんだけど、もうその辺は目をつぶって(笑)この素晴らしい聖子さんの自作曲を賞賛しましょう。
 聖子さんのセルフプロデュース時代(90年代以降)の作品は総じてみんな似たり寄ったりで、オリジナリティに乏しく、80年代の聖子ポップスと比べて評価できるものは少ないのだが、改めて『SEIKO SUITE』のディスク6や1999年の編集アルバム『Ballad〜20th Anniversary』などを聴いてみると、思いがけずイイ曲があってハッとさせられることがあるのも事実。「もう一度、初めから」とか「恋する想い」とか。『My story(97)』収録の「二人の愛のかたち」なんかもオススメで、たま〜にセルフ時代のアルバムを聴き直してみると「お宝発掘」みたいな面白さがあったりする。そう、いい曲があってもすぐに埋もれてしまうというのは、たぶんあまりにもセルフ時代が長く、音楽的にも変化が無いので、「セルフ時代の聖子の曲はつまらない」という先入観が固定ファンやリスナーの間に根づいてしまっている、というのが大きいのだろうと思う。少しもったいない話ではあるのだ。なんて、俺だってセルフ時代の聖子さんを批判してきた一人なのだけど。
 さて、今回の「瞳とじて」がそんな中でも成功していると思う理由は二つある。まず 1.詞のコンセプトがしっかりしていること、2.往年の聖子と今の聖子両方の良さが味わえる、というニ点だ。
 まず詞について。セイコさんの自作詞の最大の欠点は、語彙の乏しさはもちろん、あまりに一人称での独白的な内容に終始しすぎていることだと思う。セイコ曰く「明日に向かって頑張ろう」(俺曰く「何を頑張るの?」)、セイコ曰く「優しいあなたが好き」(俺曰く「どこが、どう優しいの?」)みたいな・・・。自分の気持ちを語るに終始していて、色が無い、情景が浮かばない、つまりは聴き手をしてイメージを喚起させる力がない、というわけね。しかし、その弱点が「瞳とじて」では克服されているのだ。シャイで愛情をなかなか表現しない彼氏と、その不器用さを歯がゆく思いながらも彼からの愛情を感じ取ろうとしている健気な彼女。場面はダンスパーティー。そのコンセプト設定が見事に成功。

瞳とじて あなたの優しさを
感じていたいから このままもう少し

ミディアムバラードの曲調でこの歌詞が出れば、ダンスしながら寄り添う二人の幸せな姿が自然と目に浮かぶ。そしてもうひとつのシカケがこの曲にはある。

胸の鼓動 震えているみたい
あなたは気付かないふりをしてるの(1コーラス目)

抱き寄せられ 髪にキスをしてくれる
わたしは気付かないふりをしてるの(2コーラス目)

 この対比、いいんじゃない?ちょっと意地悪なあなたに、私も意地悪しておかえししちゃうわ、みたいな。こんな他愛のないやりとりが、ホントに聖子さんには似合う。そう、ここで、往年の聖子に会える、というわけね。ただ、音のまとめ方が天才的に巧かった往年の聖子さんだったらこのフレーズ、もっとコケティッシュに「〜気付かないふりを〜して〜でゅのん」と絶妙なニュアンスでまとめていたただろうに、今の聖子さんにはそのニュアンスが出せていないのがちょっと残念でもある。(四十路の聖子たんにそれを求めるのが間違いというハナシもあるけど。)どうしても、今の聖子さんは音の終わりが中途半端に強いビブラートばかりでしつこくなっちゃう。
 一方、今の聖子さんの良さは、美しいファルセットと歌い出しのニュアンスにあって、例えばバースの部分「踊りたいの〜ひとときの」の部分のファルセットの優美さは、今の聖子さんだからこそなせる業。それぞれのコーラスの歌い出しでちょこっとコブシが効いてるところも、ボーカルにリアルな存在感を加えていてとてもいい。これも今の聖子さんならでは。
 最後に忘れてならないのはアレンジの良さ。ストリングスと透明感のあるシンセを多用した山田秀俊氏のアレンジは、この曲の上品でロマンティックな世界を醸しだすのに一役買っている。流麗なピアノと男性コーラスも聴き所だ。
 そうそう、作曲も聖子さんで、とてもナチュラルな展開でいいメロディーを紡いでます。(付け足しっぽいけど。笑)
 久々に聖子さんを見直した1曲。