戦後62年目の夏に

 今週号のマガジン9条はなかなか良いです。ぜひ読んでみてください。
 さて、今年の8月は終戦後62年という、中途半端な年であったにもかかわらず、かの昭和の戦争を取り上げたテレビ番組がNHKをはじめ数多く放送された。また広島や長崎での平和祈念式典では、それぞれの市長がこれまでにない強い言葉で反戦平和を訴えた。参院選での安倍自民の惨敗と同時進行で起こったこれら一連の動きは、凡庸でいて、しかし凡庸であるからこそ、一国をリードするべき為政者としては却って「異形の輩」であることが浮き彫りとなった、安倍くんという首相を頂いている日本という国が、このままでは危ない、ということを憂慮した一部の人々が真剣に動き始めた結果なのではないだろうか、とも思うのだ。
 終戦記念日NHKで放送された9条改正論議にからんだ討論番組で、改憲派護憲派が真っ二つに分かれて丁々発止のやりとりが面白かったのだけど、護憲派の立場からあの番組を見て俺が強く感じたのは、改憲派の人たちって、やっぱり「強いよな」、ってこと。まあ、たまたま出演者にそういう傾向の人たちが集まっただけかもしれないけど。
 男女限らず、改憲を訴える人たちは殆どみな「喧嘩腰」で「ヒステリック」に映ったのね。勇ましい感じ・・・そう、俺が言いたい「強いよな」って、そういうこと。
 あと、常々、なんでミギの人たちはそんなに軍隊を持ちたいんだろう?って俺は考えてきたんだけど。それで結局、俺の結論はこうなった。
 軍隊を持っている国がカッコいいから
 やれ国の誇りを守るだの、国際貢献だの、他国からの侵略に自力で立ち向かうだの、やれフツーの自立した国の常識だなど、改憲派の彼らはいろいろ言うけれど、その根底には、「カッコいい国(国民)になりたい」という願望があるような気がする。それで、改憲を訴え始めちゃうと、どうしても「強さ」をアピールせざるをえなくなっちゃう、と。カッコよくなるためには、議論で負けるわけにいかないからね。
 要は、オレは(アタシは)、この厳しい戦いを勝ち残っていく実力のある(つまりは「強い」)人間なんだ、というアピールでもあるわけね。それはある意味「勝ち負けの思想」に支配された新自由主義社会にピッタリ合致してもいるわけで。となりのアジアの国なんかに負けちゃいられない、ということになっちゃうわけね。
 俺からすれば安倍くんは、そういった意味でまさしくこれらミギのひとたちのカリスマみたいな感じさえするのね。強さ、カッコよさ、その辺りのキイワードだけで政治をやってる、みたいな。「新しい国づくりがワタクチの使命」なんてノタマって惨敗後も続投宣言しちゃったのはその典型例でしょ。ボクのメンツが許さない、みたいなね。だからダメなんだよな。
 軍隊とか、自主憲法とか、他国と比べて「見劣りしないため」にカタチだけのカッコよさを求める意味なんてない。それよりもカタチのないものの方がどれだけカッコイイか。憲法9条を生かし、戦争という「大いなる無駄」の撲滅を(他国がなんと言おうと)独立国として訴えることこそがまさしくその第一歩だと思う。この国は、それが出来る世界でも数少ない国の一つであることは間違いないはずだから。
 こんなこと書いちゃうと「だったらおまえこそカッコいいことばかり書いてないで、そのために戦え!」とか言われそうだけどね。