マック今昔物語

 7年前にウチから徒歩5分のところに大型スーパーが出来て、そこの1階にマクドナルド・ハンバーガーが入った。ファーストフード、特にマック(関西ではマクド)などはこの歳になると滅多に利用することはないんだけど、休みの日などにごくタマ〜に朝食代わりに買いに走ったりする。月1回、マックの割引券が近隣の家庭に無料配布されていて、ウチにもいつも割引券が常備されている状態だから、俺もついつい「割引券使わないと損かな」みたいに思わせられちゃってるところもあって。思うツボね(笑)。
 思えば、銀座4丁目にマクドナルド1号店が出来たのは俺が小学校に上がったばかりの頃だ。当時のお店は今でいうドライブスルーの窓口と同じようなつくりで、道に面していきなりカウンターがあるだけ。椅子やテーブルはおろか、屋根さえなくて、お客はカウンターで受け取ったバーガーやドリンクを舗道で立ち食いしていたんだよね。まあ、当時はそれがカッコ良かったんだと思う。当時のハンバーガーの包装紙は白い紙に確か紺色の字で丸く「McDonald's HUMBERGER」とか書いてあるだけで、とてもシンプルな感じだった。たしかチーズバーガーが赤字、フィレオフィッシュは黄緑色の字で、デザインは一緒。そのあたりが、どこかオシャレな感じがしてね。
 そうそう、その頃のマックは(今では考えられないことだけど)下町育ちの僕らにとっては滅多に食べられない、ごちそうだったのだ。たまに銀座に買い物や映画に連れて行ってもらった時しか、食べられないものだったから。ハンバーグが2枚挟まったビッグマックなんて、もうちょっとした「ディナー」という感じ。それと魚のバーガー、フィレオフィッシュの味が当時はとても斬新で、ほかでは食べたことのない味だったから、それも相乗効果で俺の中での「マック株」はいつも高値安定だったのね。銀座に遊びに行くという姉に、マックのお土産をねだって、冷めてパサパサになったバーガーやフィッシュを、美味しい美味しいって食べていたのだから、信じられないよね。
 マクドナルドのハンバーグは猫の肉を使ってるだの、果てはミミズの肉だのという噂が駆け巡ったのは、口裂け女の都市伝説が話題になったのと同じ頃だったように記憶している。「どこそこのマックのお店のゴミ箱に猫の死骸が一杯入ってたらしいぜ。」少年時代の俺も学校でそんな噂を耳にして、もう食べるのやめようかと本気で思ったことがある。
 大学生の頃に初めて経験した海外旅行(アメリカ)では、本場のマクドナルドに入って当時はまだ日本にはなかった「ソーセージ・マフィン」を食べ、新鮮なオレンジジュースを飲みながら「これが本場のアメリカの味だ!」と感動したこともあった。今も「ソーセージ・マフィン」を食べるとホワーンとカリフォルニアの乾いた空気に包まれるような気がする。若い頃の旅の思い出の味。
 そんなマックも、いまやそこいらじゅうに乱立して、驚くことに価格も当時とあまり変わらなかったりするから、すっかり庶民の食べ物屋として浸透しちゃった。(これもアメリカによる侵略、だよね。)なんたって下町のはずれにある、俺が住んでるウチから徒歩5分のところにさえ出来ちゃったわけだからね。ありがたいような、つまんないような。
 久しぶりにマックのハンバーガーを食べ、あの頃銀座で食べたのとほとんど変わらない味を楽しみながら、あの頃に思いを馳せるっていうのも、何だか嬉しいようで寂しいような複雑な気持ちなのだった。