おすすめ本〜高村薫「作家的時評集2000−2007」

作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

作家的時評集2000-2007 (朝日文庫 た 51-1)

 師走です。もう2007年も終わりに近づいてます。
 本当に、時間が過ぎるのが早い。これは自分が歳をとって、いろんなものに追いまくられて生活しているのもあるとは思うけれど、やっぱりそれだけじゃなくて、ヒトやカネやモノが動く物理的なスピードはもちろん、流行とか商品開発のサイクルとか情報が伝わるスピードなんかも、すべてが加速しているのは確かなのよね。
 そんな加速するばかりの時代の中で、我々日本人はすっかり立ち往生している感じ。
 この高村薫女史の時評集の中で度々言及されるのが「思考停止した日本人」。それはつまり、加速する時代の中でそれに追いついていくのがやっとで、人々が近視眼的にしか生きられなくなってきたことを言っているのだ。
 例えばコイズミが絶叫した「構造改革なくして景気回復なし」「官から民へ」などの威勢のよい言葉に対して、深く検証することさえなしに「ここではないどこかへ」という「何となくの期待」のみで多くの国民が、マスコミが、支持してしまったこと(高村氏自身も最初はコイズミに期待した一人であったことを告白している)。国民にとっての幸福の実現という、政治家として不可欠の理念とそれに向かうための明確なビジョンが全くといいほど欠けていた(注:これはhiroc-fontanaの私見)コイズミという男、あの男そのものが「思考停止」であったうえに、彼を選んだわれわれ国民も思考停止状態だったのである。
 その結果として格差は拡大し、毎日の食事さえ満足に摂れない隣人がいても、それに疑問を持たない我々であること。阪神大震災から10年程度しか経っていないのに、また耐震偽装事件が発覚したのに、乱立する高層ビル群に無頓着でいられる我々であること。原発事故や鉄道事故、子供を狙った犯罪や家族同士の殺人事件、この国の安全神話は崩れて久しいのに、どれもが他人事のように無関心でいられる我々であること。
 見たくない現状は、すぐに忘れる。面倒な問題は先送りして正面から向き合わない。何となく情緒で是非を選択する。それが思考停止。
 自分の胸に手をあてて考えてみれば、まさしく、そうだ。その通り!それのどこがいけない?
 この本は新聞などへの短い寄稿を集めたものであるから、女史がその答えを出しているわけではない。ただ、21世紀に突入して以降のわが国の思想の劣化・言葉の劣化、つまりは日本人の全体的な劣化を高村氏は嘆き、その中でなおも熟考し、言葉をもって何かを伝えていくことを彼女なりに続けていきたい、という意味のことを繰り返し述べている。もちろん高村氏としても自分の能力の限界を知ったうえでこのようなことを言っているわけだが、思考停止した凡人である俺にとって最も大切なことは、情報の洪水の中で、より良いもの・正しいものを取捨選択する審美眼を養いつつ、優れた思想家が提示する「世の中の見方のコツ」みたいなものを自分なりに吸収していくことしかないかな?などと、高村氏のこの内容の濃い時評集を読みながら思ったのだ。自分が生きているこの時代について、(自分なりに)考え続けていくこと。
 ベルリンの壁ソ連の崩壊など、世界がめまぐるしく変化した90年代、日本は不景気続きで冴えない10年だった。でも今思えばそんな90年代もどこか牧歌的な時代だったような気さえしてくる、支離滅裂な2000年代の日本。
 2008年を迎えるにあたって、あまりにも足早に過ぎていった21世紀初頭の7年間を振り返り、そのめまぐるしい展開にクラクラしながらも、今こそ日本人一人ひとりがその検証作業をしておかなければならないのではないか、そう思わせてくれる本です。(文庫なので安いですし、おすすめです。)