欲望の対象としての自分

 今年は正月早々オメデタくないこと続きだし、いつの間にかもう12日だし、新年第1回目の日記ではあるけれど、そんなことを意識したら何も書けそうにないので、今回は好き勝手を書かせてもらいます。ゲイが嫌いな人は読み飛ばしてね。
 俺は年上専(知らない人のために解説すると「●●専」っていうのは「〜を専門に好む」ってことね)なのだけど、つまりはフケ専というわけで、俺は一言でいえば、オヤジが好きなオヤジってことになるわけね(笑)。
 こんな俺だけど出るところに出ると、何だかとってもモテることがあるのよね。時たま言われるのは目がイヤラしいとか、伸びたヒゲがエロいとか。どうやら俺のどこかにエッチのターゲットとしてモテる要素があるみたいなのだ。古今東西、ストレートだろうがゲイだろうが、オヤジってのはスケベだから、そんなスケベオヤジ達が好きな俺としては余計に欲望のターゲットにされちゃう場合が多いってことだ。
 男である自分が、欲望の対象にされること。
 それって、ホストとかは別にして、普通の男だったらあまり経験がないと思うのだ。特に、男も40歳を越えればなおさらだ。もちろんあなたが美形の男子だったら、常に学校や職場で女子たち(あるいはオバちゃんたち)から熱い視線を浴びてきただろうし、そんなことに慣れているかもしれないけど、それはあからさまな「欲望の対象」としての視線とは、ちょっと違うよね。俺の場合もともと美形ではないから、そういう「憧れの対象」になった経験ってのは皆無だったのに、年上専としてゲイの世界でデビューして以来、何だか欲望の対象にされる経験ばかりが増えちゃって、最初のころはホントに面食らった。(一方でそれがあるからゲイは気持ち悪くて嫌い、というストレートの男が多いのだろうけどね。)
 「本当は、もっと40年間生きてきた俺という人間の中身を見て欲しいし、更にお互いを磨き合うためにあなたがたと付き合いたい。。。」そんなキレイ事を心の中で叫びながらも、正直、自分の「何か」に惹かれて近づいてくる人たちがいることに、くすぐったいような、奇妙な嬉しさを感じている俺なのだ。たとえそれが、ひとときの動物的衝動であるとわかっていながらも、だ。
 たぶん、欲望の対象になるってことは、どんな形であれ「自分としての存在を認められていること」に他ならないから、それが嬉しいんだと思う。ちょっと卑屈だけどね。そんなこと(性的魅力とかナントカ)にウツツをぬかすくらいだったら、社会的貢献でもして自分の存在を認めてもらえ、というのがフツーの男なのかしらね。
 でもそれのどこが、いけなくて? これが、いまの自分のきもち。