ノスタルジーの罠

 近年の「昭和ノスタルジー礼賛」にひとこと。昨今、映画でも音楽でも、古きよき時代、昭和(おもに昭和30年代)への憧憬をこれでもか、と前面に押し出したものが少なくない。確かに戦後の昭和は今から比べれば大らかでのんびりしていた時代だったし、貧しくも皆が平等に将来に夢を持てる時代だったから、あの頃を懐かしがる「客」は後を絶たないのだろう。
 それに比べて、人心がすっかり荒廃し、安全は消え去り、将来に夢が持てなくなってしまったこの現代、こんな時代に誰がした?ってわけだよね。
 でもね、年金問題にしろ、暫定税率にしろ、今クローズアップされている問題は、すべて昭和の遺物、なんだよね。
 あの頃「いつか何とかなるさ」そう言って先延ばしにされてきた問題、政治家も国民も、何となく大丈夫そうだ、という漠然とした楽観論で、見過ごしてきた多くの問題。そういった先延ばしされてきたことがすべて噴出している、それが、今。環境問題もそう。食料自給率の低下もそう。少子化問題もそう。
 全部、あの平和な昭和の時代に、俺たちの親の世代が、そのときの幸せ、豊かさを追求することだけに血眼になっていたからこそのツケが、今、来てるんだ。「ぬるま湯」につかりすぎたゆえの、強烈な湯当たり、とでも言うべきか。
 もちろん、親の世代だけが悪かったわけじゃない。俺たちだって、日に日に豊かになっていく生活に喜び、幸せを十分に味わってきたのだから。未来はどんどん良くなる、そう信じ込んでいたのだ。家の居間にクーラーが入ったあの日。初めて新幹線に乗ったあの日。初めてピザを食べたあの日。親にねだってテレビゲーム(ブロック崩し)を買ってもらったあの日。家の近くにコンビニができたあの日。。。世の中は変化していくけれど、変化の中にたくさんの夢と幸せがあった。それはどこまでも「漠然としたもの」だったのだけど。
 そして、バブル到来で昭和は終わり、その崩壊とともに日本の夢も消えた。
 いわば、日本人の将来の夢を食い尽くした時代、それが昭和だったのかも。だから、あの頃を知っている人には永遠の憧れの時代なのよね・・・。

追記:「昭和の遺物」の最たるもの、「自民党」はもう役目を終えている、俺はそう思います。もう、必要ありません。これが、今回言いたかったことのひとつ。