『羅生門』

羅生門 デラックス版 [DVD]

羅生門 デラックス版 [DVD]

「わかんねえ!何が何だか、さっぱりわかんねえ!」
これは、映画の中で志村喬扮する主人公(杣売り)が吐く台詞。
 ある事象が起こったとして、それに直面した人がそれをどう捉えるか。三者三様どころか、人は、百人いれば百通りの解釈で、その事象を捉えているものだ。それは当り前のことでありながら、我々は普段はそのことを忘れ、他人も常に自分と同じ捉え方をしているものと単純に信じ込んでいるのである。
*******************************
 職場でこんなことがあった。仕事は出来ないくせに皮肉屋で口だけ達者なことで有名な中間管理職(以下、「彼」と呼ぶ)が、俺の職場に異動してくることになった。ウチの上司から聞くハナシでは、今度異動してくる「彼」は、今の職場で部下からも客からもすこぶる評判が悪いうえ、「彼」の部下でウツ傾向になっている社員が数名いるという。「彼」の上司もすでにお手上げで、ウチの職場で引き取って何とかして欲しい、と泣きつかれたというのだ。
 俺はそんなヤツ(「彼」)と絶対仕事したくないし、ハナシを聞いてからはユウウツな気分でいたのだが、そんな時、今度異動してくる「彼」と同じ職場で働いている、自分と同期入社の男と話をする機会があったので、さりげなく「彼」の職場での行状について、訊いてみたのだ。すると・・・。
「え?うちの職場でウツのやつなんているかな?「彼」は結構部下ともうまくやってるよ。それよりもさ、「彼」の上司がさ、「彼」のことを毛嫌いしてて、ずっと無視してるんだよ。」と。
 そして、あとでわかったのだが、確かにウツの社員はいたが、ウツの原因は家族が亡くなったことと人間関係に疲れたことの複合要因であって、原因は特定できなかったらしい。
 しかしやはりそれだけでは、「彼」が少なからぬウツの要素である可能性は結局、拭い去れなかったわけだ。
 つまり結局、「彼」は問題児なのか、彼の上司が問題なのか、それ以外に問題があるのか、ハナシがどれも違っていて、真相は結局藪の中、というわけなのだった。
 以上が哀しくもどこか滑稽な、俺のリアル「羅生門」的世界。
「わかんねえ!何が何だか、さっぱりわかんねえ!」まさに、これだ。
*******************************
 この映画の公開は1950年。ヴェネチア国際映画祭グランプリ、アカデミー賞外国語映画賞受賞。舞台は平安朝の京都。あらすじは「盗人の多襄丸(三船敏郎)による、武士(森雅之)の殺害とその妻(京マチ子)への強姦事件。この事件について、多襄丸と武士の妻と武士(死んでいるので霊媒師を介している)と目撃者による4人の証言は全部食い違っていた(Wikipediaより)」というもので、登場人物はたったの8人。
 ひとつの事件が、当事者それぞれの視点により全く別の物語に変化していく、その秀逸なアイデア。モノクロ映画だからこそ際立つ、木漏れ日をそのままフィルムに焼き付けたような、印象的な映像。躍動感溢れ、ときに絵画的な、アイデア満載のカメラワーク。ラヴェルの「ボレロ」を翻案した幻想的かつ格調高い音楽。そして何より俳優陣の素晴らしく絵になること。三船敏郎の野生的な肉体美、京マチ子の息を呑むほど美しくエレガントな横顔、千秋実の温かく朴訥とした佇まい・・・。
 何度観たことだろう。それでも毎回観るたびに新しい発見がある。俺の大好きな映画。
 荒れて崩れかけた羅生門の壮大なオープンセットは、かの「STAR WARS」の半分吹き飛ばされたデス・スターそのものである。登場人物それぞれの視点でストーリーが振幅していくさまは、その後の映画で何度も繰り返されるスタンダードな手法となった(つい最近公開されたアメリカ映画「バンテージ・ポイント」のルーツは、明らかにこの「羅生門」だ)。
 これが敗戦後わずか5年で製作された(昭和25年)という驚き!さぞ当時の世界の人々に「日本人の底力」を見せ付けたことだろう。元気を無くした日本人に、ぜひオススメしたい映画だ。