打上げ花火、不発。そして真剣勝負。

 自民党総裁選イベントは、不発のまま終わりました。出来レースそのままに、麻生タロー政権の誕生となりました。
 私は「半径3メートルの男(2メートルでしたっけ?)」などと呼ばれている麻生タローがマスコミに頻繁に登場して、おぼっちゃま育ち特有の楽天的なビジョンを自信満々に国民に語りかけていけば、もしかすると彼に好感を持つ人々が大勢出てくる可能性もあるのではないか、と前に書きました。
 しかし、それは杞憂に終わったようです。良かったです。
 リーマンショック事故米の問題が急浮上したことで、国民の多くはふと「自民党のバカ騒ぎにつきあっている場合ではない」と気がついたのだと思います。
 私の周りにいる、ほとんど政治には興味を持たない人たちも、どうやらそんな自民党のまやかし、末期的状況に気づき始めたようで、「もう自民党はだめだね」などという言葉が私の周りでも最近よく聞かれるようになりました。特記すべきは「官僚に操られているばかりだからね、自民党は。」という話が出てきたりすることです。消えた年金後期高齢者医療制度強制執行、そして事故米と、政府による国家的犯罪ともいうべき諸問題が続出した結果、その元凶が官僚主導の政治にあるという認識が、ようやく国民の間に浸透し始めているように感じます。
 ただ、その一方で、民主党の政策には財源の裏づけがないからこっちもダメだ、というお決まりの反論が付け加えられることになります。
 今週号の「週刊朝日」はオザワ党首の独占インタビューが巻頭を飾っています。私も、オザワ氏をどうしても信用することができない一人ではあるのですが、今の日本の政治の酷い状況を変えるには、とにかく政権交代しかないと思いますし、それを実行できる可能性がある人は今の所オザワ氏しかいませんから、彼の発言には注目せざるを得ません。
その「週刊朝日」の記事の中で、財源の裏づけについてオザワ氏はこのように述べています。
 「政権を獲れば予算の中から財源はいくらでも手当てできる。そもそも官僚の無駄遣いを叩きながら、彼らが都合よく作った予算案を丸呑みにして、財源は無い、と言うのは矛盾している。」
 私もそう思いますし、過去には自民党の幹事長としてどっぷり官僚政治に浸っていたオザワ氏だからこそ、逆にこの発言に信憑性を感じてしまうのです。
 前に何度か書きましたが、私は仕事の関係上、かなり近い場所から公務員たちの仕事っぷりというものを見てきました。その中で、彼らが作る予算案は実はほとんど前例を踏襲するばかりであり、それを確保するために毎年の予算をどれくらい忠実に(100%に近く)使い切るか、そればかりに執念を燃やすお役人気質、そのいい加減さを、イヤというほど見てきました。福利厚生費が余って勿体無いからマッサージ機を買っちゃおう、なんて、彼らの感覚からしたら「当たり前」に近いのです。
 ですから、オザワ氏が「財源はある」と言い張ることについて、自民党やメディアは「現実味が無い」と言って批判しますが、私にはむしろオザワ氏の言い分に説得力を感じてしまうのです。
 さて、政権交代は実現するのか。実現したら本当に我々の生活は良くなるのか、それはわかりませんし、もしかすると全く変わらないかもしれません。ですが、先の参院選で野党が勝利したことによって、この国の政府が隠してきた諸問題(その筆頭が年金問題)が次々と明るみに出てきたような事実を思い起こせば、「我々の一票が日本を変える・・・かもしれない」という希望は捨てるべきではないと思うのです。次の総選挙は本当に我々にとっても、真剣勝負、なのかもしれません。