注目すべき事件。

 今日、私は例の東金市の幼女殺害・遺体遺棄事件のことについて書こうと思います。
 この事件については、いまだに警察から発表される情報はとても少なく限られたものであり、事件の真相究明が難航していることが伺えます。ですから私がこれから書くことは、私の独断と想像によるものであることをご承知おきください。かなりデリケートな話になるからです。でも私は、この事件を表層だけで捉えてはいけないと思い、少しでも読んで考えてくださる方がいればと思い、ブログに書こうと思い至りました。弱小ブログですが。。。
 容疑者は軽度の知的障害を持っていたといいます。つまりおそらくは、責任能力に欠ける可能性があるのです。
 しかし、マスコミはすでに容疑者を実名報道し、その顔や逮捕連行される姿まで露出してしまいました。もうあとには引けなくなってしまいました。
 不幸にも殺害されてしまった女の子そしてご家族の悲しみを思えば、この事件は許されるものではありません。それは確かです。
 しかし、知的障害者の特性をある程度知っている人ならば、事件の経緯は容易に想像できてしまうのです。この事件はそのようなある意味単純で、ある意味特殊な性質のものに違いありません。
 私がこの事件の経緯を想像すれば、以下のようなことになります。

 恐らく容疑者の男にははっきりとした性的な動機はなく、アニメが好き、という延長線上で小さな女の子に興味を示していた。当初は女の子もそんな容疑者の様子に警戒心が薄れていたため、単純に声をかけられるままに男の部屋に付いて行ってしまった。しかし次第に不安が増して女の子が泣き出してしまったため、容疑者の男はどう対処してよいかわからず軽いパニック症状に陥り、発作的に女の子に手をかけてしまった。。。

 そんな経緯です。
 ですから、彼に殺害の動機やその様子を思い出せ、と問うても、大変に難しいはずなのです。本人の当時の意識は恐らく本人でも説明のつかない状態にあった可能性が高いからです。それこそが障害なのであり、「パニック症状」というものなのです。今回の事件はその意味で、被害者だけでなく加害者にとっても、もしかすると不幸な事件だったのかもしれないのです。
 ただしノーマライゼーションの見地からすればむしろ、容疑者の彼は、自らが起こしたことの重大さからして相当の刑罰を受けねばならないのは当然かもしれません。警察としても被害者家族への配慮や、権威としての面子から、明確な殺害動機を彼の口から引き出すことに苦労しているのだと思います。(尋問に際して、脅迫的・暴力的な行為が行なわれていなければ良いのですが。)
 ですが、本来、彼の責任能力ひいては障害特性から考えれば、マスコミが彼の名や顔を出したうえにこの事件を詳細に報道すれば、それは人権問題に関わってくるのではないかと思うのです。またそれは、人々の知的障害者に対する過度の偏見さえ増長しかねません。「障害者は何をしでかすかわからない、コワイ人々」というような偏見です。そうなれば「何故そのようなキケンな障害者を街の中に放っておくのか」と言った極論さえ出てくる可能性があります。そのようなわけで、この事件は現在、マスコミでは非常に取り上げづらいものになってきているはずなのです。
 今後この事件について、きちんと皆が納得できる幕引きを、警察やマスコミはしてくれるのでしょうか、それが心配になってきました。