変わりゆくお正月に思う

hiroc-fontana2009-01-03

 Lonesome中年の自分でも、お正月ともなれば近くの親戚の家に挨拶に行って、数少ない血の繋がった人々とのひとときを過ごしたりします。久しぶりに会う甥や姪の成長にびっくりしたり、姉が年々老いてゆく姿に愕然としたりしながらも、家庭の温かさに触れ、こんな俺でも「ああ、やっぱり家族っていいな」と素直に思うことができる貴重な時間だったりします。
 今年の元旦も一族が集まったのですが、そんな中で姉がふと「そういえば昔のお正月はもっと賑やかだったよね。」と呟くと、それをきっかけに一同しばし「そういえばさあ」などとかつてのお正月の昔話に花が咲き、最後は「時代は変わっちゃったね」としんみりしてしまいました。
 私が子供のころ(と言っても私が高校生くらいまで)は、お正月と言えば、親戚や両親の友達、近所の人々が代わる代わる挨拶に訪れ、家には常に「お客さん」がいたような気がします。昼間から飲んで夕方には決まって酩酊状態になって帰っていくおじさんや、朝から来てなかなか帰ってくれない後家のおばさんや、子供が好きでいつも部屋まで来て遊んでくれる姉貴の友達とか、子供にとっては、お正月は普段は見られない人々の様々な顔が見られる、ちょっとした人間観察の場でもあったような気がします。シャイな少年(?)だった私にとっては、お客さんにしっかりと挨拶することを強制されるのがとてもプレッシャーでしたが、反面それが社会勉強の場でもあったのですね。
 向田邦子の「父の詫び状」という随筆集が私は大好きなんですが、そこには、昭和の古き良き時代のお正月の様子が活き活きと描写されています。彼女の父親は保険会社の管理職で、正月は会社の上司や同僚をはじめたくさんのお客さんが引きもきらず挨拶に訪れていたといいます。彼女の母や祖母、そして子供たちはいつもその接待にてんやわんやの状態で、しかしそんな正月がとても好きだったと書かれています。終身雇用が消え去った現代では、会社の上司の家に挨拶に行くなんて、そんなお正月など考えられませんよね。
 そういえば、昔のお正月といえば商店街はすべてお休みで、道路には車もほとんど通りませんでした。町はとても静かでした。子供の頃、普段はバスが通る道路の真ん中で、そのときだけは我が物顔で凧を揚げたり羽根つきしたりできるのがとても楽しかったのを覚えています。コンビニやスーパーは元旦から営業、というのが売り文句になってしまった現代に、何だか逆に寂しさを覚えてしまいます。正月三が日くらいは、何もしない、何も買わない、そんな心の余裕さえ、なくしてしまったのかもしれませんね。
 思えば昔のお正月にあったような、大人も子供も家族も他人も一緒くたに過ごすような濃密な時間、人間関係そのものが、現代は少しづつ失われてきているのかもしれません。そしてそういった濃い人間関係の中から自然に学んでいた「人間力」のようなものも、失われてきつつあるのかも。
 私はいざ40代半ばになって何かと責任を任されるような立場になってみると、やはりどこか「こんな自分が・・・」と思えてならないのです。自分が子供だった頃、あるいは若かった頃の40代のほうが今の自分よりずっと凄かったのに。。。そんな気がして仕方ないのです。しかし、いつの間に自分程度の人間さえ責任を負う立場になっている、この現代のこの現実が、何だか日本人全体の「人間力低下」を如実に表しているような気さえしてくるのです。
 政治の世界では、世襲議員の台頭で政治家の質の低下が叫ばれて久しいですが、一方生え抜きの議員がどれほど育っているかと言えば、甚だ心許ない現状のように思います。そこにも「日本人全体の人間力の低下」が表れているではないかと、そう思えるのです。
 年末のエントリーで、音楽シーンではマーケットの細分化によって大きなヒットが生まれない現状があるのでは、と書きましたが、それは音楽の世界だけでなく、ひょっとするとすべての面で共通して起こっている現象なのかも知れません。つまり、過度の情報化や分業化、機能の細分化によって、全体の構成要素はそれぞれ小粒に、矮小化していく。なかなか核となる力を持った存在が生まれにくい時代です。つまり、人間そのものが全体に「小粒」になりつつあるのでは?ということ。しかしそれは一方で、全体を網羅しコントロールできるパワーのある存在がうまれたとき、一網打尽に強者が弱者を飲み込んでしまえるような、恐ろしい時代と言えるのかもしれませんね。(ですから、巨大企業やマスコミ、そして政府の不穏な動きにはくれぐれも注意が必要なのです。)
 しかし私は否が応にもこんな時代に生きているのですから、より人間力を高める努力をしつつ、今年も自分なりに一歩でも前進できるよう頑張っていくしかないな、などと思っているのです。
 変わり行く日本のお正月に寄せて。