マスコミ人の苦悩(?)

 映画『Vフォー・ヴェンデッタ』を観た。独裁国家が舞台で、そこではマスメディアもすべて政府の息がかかっていて、国民には政府に都合のいい内容のニュースしか報道されない。でも、映画の中では国民もそれら報道が捏造であることを感づいていて、テレビを観ながら「どうせウソに決まってる」なんてつぶやくのだ。
 最近のオザワ氏に対するこの国の報道を観ていて、いま私は、報道する側「記者たち」はどんな思いでいるのだろう、と思っているのです。Vフォー・ヴェンデッタ 特別版 [DVD]
 オザワ氏は「野党の党首」であって、政府与党の党首・閣僚ではないのです。西松建設が公共事業で便宜を図ってもらうためにオザワ氏に献金していたとしても、オザワ氏=野党の党首に献金したとして、どれだけ公共事業を受注する上で意味があるというのでしょうか。自民の土建系議員への献金と比べれば、その効果は遥かに落ちるに違いありません。報道する記者には、そんな基本的な疑問さえ沸かないのでしょうか。
 オザワ氏が民主党衆院議員の会合で「今、円高だから(韓国の)済州島を買ってしまえ」と発言したと言われることについては、オザワ氏本人も、その発言を聞いたとされた笹森氏も、両者がその発言を否定しているにも関わらず、その報道は訂正もされず垂れ流されたままになっています。漆間氏が、複数の記者の前で「地検の捜査は自民党には及ばない」と発言したとされながら、それを「記憶にない」と抗弁したのとは、全くハナシが違うのです。オザワ氏の場合、複数のソースがすべて否定しているんですから。何も確証がない報道ということになる。それを報道することに、担当記者は疑問を感じないのでしょうか。
 私はむしろ、現場の記者の大部分は、今回のオザワ氏に対するネガティブキャンペーンに対して、それぞれが疑問を抱えながら報道しているに違いない、と思えるのです。なぜなら、我々イッパン人に比べれば彼ら政治記者たちは遥かに政治に関する幅広い基礎知識を持っているはずであり、かつ身近に政治というものを観ているのです。シロートが奇妙に思うことを彼らが何も感じないはずはないではありませんか!おそらくただ彼らに出来ることは、メディア各社の上層部からのお達しである、フツーに考えても奇妙な現在のオザワ氏に対するネガティブキャンペーン報道を、たとえ頭の中では疑問や葛藤を抱えながらも、言われるまま・ありのままに表現して「国民に問う」こと、それしか出来ないのではないかと思うのです(もちろん富士山系グループとかゴミ売りの記者の中には、ひたすら政権交代絶対阻止!という使命感に燃えて記事を書いている記者もいるとは思いますが)。
 ですから、本当に我々受け手側が、映画『Vフォー・ヴェンデッタ』の中の国民のように、冷静な目でメディアを観察し、情報を取捨選択しながら今起こっている出来事を捉えていく必要があると思うのです。