『スラムドッグ$ミリオネア』

hiroc-fontana2009-04-26

 2008年アカデミー賞作品賞受賞作品。仕事を休んで病院に行った帰りに鑑賞。
 いや〜面白かったわ。
 本当に良くできた脚本で、インドのスラム街出身の主人公がクイズ番組(ミリオネア)に出演して回答(正解)を重ねながら、その回答に絡めて様々なエピソードが挿入されていく構成。それぞれのエピソードには笑いあり、ラブ・ストーリーあり、サスペンスありで、それらが絶妙な繋がりを見せながら、エンディングへと突き進んでいく。観客は、笑ったり、ドキドキしたり、じーんとさせられたりしながら結局最後までスクリーンから目を離せないのだ。とにかくエンタテインメントとして非の打ちどころがない(と俺は思う!)。この作品にリアリティやストーリーの整合性を求めれば批判も出てくるだろうけど、それは野暮ってもの。エンタテインメントなんだから、楽しまなくっちゃ。
 舞台がインドってのがまたいいのね。あらゆるものをのみ込んだような混沌と、そこから生まれるとてつもないエネルギー。スラム街を俯瞰で捉えた映像と、ごちゃごちゃした街を駆け抜けるスピード感のある映像を織り交ぜた、見事なカメラワークと相まって、まさにインドの混沌が生み出すパワーがスクリーンから溢れ出してくる感じ。もともと俺は(訳あって)子供の頃からインドへの憧れが強かったのだけど、ホンキで行きたくなっちゃいました、インドへ。
 さて、俺がこの映画からイチバン感じたのは、「人生って、切ないな。。。」ということ。
 なにが、切ないのか。それはこの映画を観て感じた俺のフィーリングであって、はっきりとは言葉では表しづらいのだけど、敢えて言葉にするならたぶん、成長してオトナになっていくこと、それが切ないのかな、と思ったのね。子供時代は、育つ環境がどうあれ(たとえこの主人公のように劣悪な環境で育っても)子供の心の中は多かれ少なかれ純粋なものがあるように思うのね。たとえばちっぽけな広場がプロ野球場になったり、汚い廃材置き場がジャングルになったり、ボロボロなお人形が可愛い赤ちゃんになったり、子供の「遊び」は豊かな想像力で出来上がっている。その豊かな想像力というのは、心が純粋でなければ生み出せないものだと思うのだ。
 そんな純粋な心が生み出す純粋な世界が、成長して「世の中のしくみ」を知るに従って、人の心から失われていってしまうこと。たぶんそこが、切ないのだ。
 実はね、最近、こういうことがあったの。俺にも兄貴がいて、最近「病室で」その兄貴と会う機会があったのね。幸い大病ではなかったのだけど、本当に久しぶりに二人だけで会ってみて、そうしたら、この映画の主人公と同じように子供の頃に兄弟で無邪気に遊んでいた頃の空間が突然、二人の間に甦った気がしたのね。お互いもう中年になって、一人前に分別を備えたオトナなのに、いざ二人になったとたん、あっという間に子供の頃の感覚に戻れたのね。それが嬉しくもあったのだけど、一方で、今の自分たちの立場を思うと余計に時の流れを感じさせられて。病室を後にしたとき、何だかとても切ない気持ちになってしまったのだ。
 自分もそうだし、周りにいる大人たちもみんな、それぞれ純粋な世界を生きていた子供時代の思い出(夢)を心の奥に大事にしまっていて、それを忘れた振りしながらこの今を、生きづらい現代を生きているのかもしれないな、ということ。そう思うと、やっぱり人生って、切ない。
 ・・・なんて、後半は私的な感情もからめてしまったけれども、それもこれも、映画の中でのインドの少年少女たちの生命の躍動感があまりに素晴らしかったからだと思う。そして、彼らのその後の人生がとてもドラマチックに出来上がっていたから・・・
 自称、純粋な心を隠し持った、すべての人にオススメ。
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