デタラメ公共工事は、もういらない。

地域活性化のために公共工事を持ってくる。」
 自民党主体の政府が高度成長期以降、絶えず続けてきたことです。ですから、地方の多くはいつの間にか、公共工事がなければ生きていけなくなってしまったのです。
 無論、幹線道路や港湾の整備など、インフラを整えるための工事や、自然災害を防ぐための河川工事等は地方にとって必要不可欠でありましょう。しかし、地元にカネを落とす(同時に土建屋を潤す=地元の人の雇用を確保する)というただそのためだけに、国交省のお墨付きでデタラメな公共工事が横行してきたのも事実だと思います。
 その代表例である「八ツ場ダム」。この件に関しては、工事中止した方が却ってムダが増えるとか、さまざまな情報が飛び交っていますが、かなり以前からこの問題に取り組まれていた保坂展人衆院議員が最新の「マガジン9条」でのインタビューに登場していまして、ここで指摘されていることこそが真実ではないか、と私は思っています。そこで行われていたのは、まさにデタラメです。
 森田実さんをはじめ、新政権の経済施策について批判する人々は、ムダ削減ばかりではなく、経済全体の底上げをしなければならない(いわゆる「成長戦略」)、そのためには公共工事は必要だ、という主張を繰り返します。しかし、このままあちこちにコンクリート物ばかりこしらえていても、結局は私たちの血税が地方の下請け土建会社に落ちて、その利権で地元の政治家が得をして、結局は地元の住民に還元されるものといえば、“おこぼれ”程度のわずかな雇用と、あとは「立派な道路」と「無機質なハコ物施設」と「全国展開の大型店舗」だけという、まるっきりのっぺらぼうな見せ掛けの便利さ、だけのように思います。
 例えばエコカー減税だとかエコポイントだとか、地デジはその最たるものですが、これまで自民党がしてきた経済施策・景気刺激策は、すでに持っているモノを「買い換えさせる」という考え方に立った消費刺激策です。モノが溢れかえっているこの時代、買い替え需要をムリにでも作らないと消費は活発化しませんから、ある意味仕方のないことなのでしょうが、その裏でどれだけの「まだ使えるモノ」が廃棄されているのでしょう。それこそまさにムダと思えてなりません。
 それは公共工事についても同じで、今や全国津々浦々に張り巡らされている道路を「造り替えたり」、ハコ物をキレイに「立て替えたり」して無理やりに需要を作らないと、もう工事する場所さえ無くなっているのかもしれません。ですから、ありとあらゆるところにキツネしか通らない道路が出来、水を四分の一しか溜められないようなダムが作られ続けるのです。(その代償として、自然の景観は壊され、環境は破壊され続けるのです。)
 つまりは、景気を良くするにはムダが当たり前、という考え方。それがこれまでの日本の政府の考え方の根底にあったのだと思います。
 新政権は、そのムダをやめよう、と言っているのだと思います。
 公共工事などを通じて、間接的に税金のバラまきをして景気刺激するのは、とにかくムダが多すぎる。それよりも、税金をもっと直接的・間接的に住民・国民に還元することで、民間活力をシゲキし、それによって経済発展に結びつける。そんな考え方なのだと思います。
 地方に活力を与えるには確かにインフラも大切ですが、これ以上ムダな高速道路やハコモノを作るよりも、その地方ならではの景観を大切にした街づくりをしたり、伝統的な産業に力を入れたりして、「その土地土地の魅力」を増進させる努力をしていかなければ、今後も若い人は根付きませんし、新しい産業も呼べないと思います。つまり、いままでの国のやり方では、いずれにしても地方は衰退していくばかりだと思うのです。
 八ツ場ダムを作り、「ダム湖」を観光の目玉にする。それも一つの考え方でしょうが、私には絵空事にしか思えません。地元の人々は、そんな絵空事公共工事というカンフル剤)にすがり付かなければならないほど、すでに活力を奪われてしまったということなのでしょう。本来はそうではなく、天から与えられた美しい渓谷と温泉、関東から日帰りで通える恵まれた立地など、この土地ならではの長所を最大限に活かす地方再生の方法が、必ずやあると思うのです。(私の地元の商店街でも、大型スーパーに痛めつけられながらも、共通割引券を配ったり、朝市を設けたりして、下町ならではの活力を生かして何とか頑張ろうとしているのです。)そのために必要なのは地元の人、一人ひとりの活力であり、さらに言うなら将来に希望を持てる社会にすることが前提だと思うのです。それを何も示さないまま、惰性のように公共工事を続けたり、買い替え需要を喚起するだけの経済政策ばかりでは、もう通用しない。そんな気がします。
 私は、成長戦略などなくても、希望ある将来像は描けると思います。たとえ、甘い!と罵られても、コンクリートから人へ、それがそのキイワードであると信じています。