やっぱりね。『Love Songs』坂本冬美

Love Songs~また君に恋してる~
 「また君に恋してる」がヒットして一躍脚光を浴びている坂本冬美さん。実はhiroc-fontana、名盤『日本の人』(HIS)のエントリーで半年ほど前に取り上げていたのよね。あの時はキヨシローさん追悼の思いを込めての日記ではあったのだけど、HISの『日本の人』は本当に大好きなアルバムの一つで、いまもたまに聴いたりするので、今回の坂本さんの復活劇は彼女の大ファンとは言えない俺としても何だかとても嬉しかった。
 それにね、これまでもこの日記で取り上げたあとに突然新譜を出したり、マスコミに取り上げられたりして復活を遂げた人が何人かいて(ソロの椎名林檎ちゃんとか斎藤由貴さんとか)、だからここ最近の坂本冬美さんの再ブレイクも俺としてはどこか「してやったり」感があったりして、それで今回のタイトル「やっぱりね」なわけです。なんて本当に独りよがりな自己満足でしかないのだけど(苦笑)。
 もう一つ、タイトル「やっぱりね」には、このカバーアルバム『Love Songs』の内容に関しての意味ももちろんあるの。それは、良くも悪くも、想像した通りのアルバムだった、という意味。
 うた、というものが伝えてくれるもの。それは言葉では尽くせないくらいの情報量であって、哀しみや悦びの感情はもちろん、時として空気の匂いや色までをも運んでくれる。坂本冬美さんは、それをよく分かっていて、そういったものを我々にすこしでも届けようと実に真摯に“うた”というものに向き合っているように思えるのよね。一時期、諸事情で芸能活動を一切休止したのも、中途半端に歌は歌えない、という彼女なりの歌への強い思いがあったのではないか、と想像するのだけど。(マスコミでは無責任にイロイロと書かれたけどね。)
 その意味でこのアルバム『Love Songs』では、丁寧に丁寧に1曲ごとの“うた”に向き合って、言霊に思いを込めてその世界を伝えようとしている冬美さんがいて、聴いているこちらも自然とその世界に真摯に向き合わされてしまうのね。それはお互い背筋を伸ばして礼儀を貫いた関係性の気持ちよさのようなもので、わかるかしら、凛とした姿勢の人と付き合ったときのスッキリした感じ、ね。
 ただ、もう一つの「やっぱり(ちょっと残念)」というのもあって。坂本さん、一生懸命に演歌臭を抜こうと、コブシを回さずにストレートに歌っているのだけど、やっぱり感情がこもりすぎたときの“泣き”のフレーズはどうしても濃ゆーい演歌の歌いまわしが出てきてしまうのね。特にビブラートは強すぎるところがあって、「演歌とポップスの境界線を引くものは“ビブラート”なんだ」ということを改めて気付かせてくれたアルバムでもあったりする。(セイコさん、あゆ、最近ビブラート強すぎの人たち、気をつけないとね。笑)
 とはいえ「あの日に帰りたい」「会いたい」「言葉にできない」などのカバー定番曲を歌っていながら、これらフォーク寄りの曲を実に表情豊かに歌ってくれていて、冬美さんというアンプを通じてその歌の世界が原曲の数倍に増幅されて伝わってくる感じがするのがすごい。千春さんの「恋」なんてまさしく「濃い」(笑)。
 アレンジは萩田光雄さん、船山基紀さん、若草恵さんの3人で、歌謡曲黄金期を支えた大先生が携わっているのも嬉しいところ。デジ・ロックな「夏をあきらめて」、アリアな「大阪で生まれた女」など、原曲とはかけ離れたアレンジは賛否両論かもしれないけれど、それが却って坂本さんのウタの独自な解釈を際立たせている気もして、俺は正解だと思った。
 結い上げた髪を下ろして、それはそれで凛とした美しさを醸し出す坂本冬美さん、40代・独身にしてますます“イイ女”を演出しているのもすごいわね。ゴシップ的な話題もあるようだけどそれは抜きにして、同じ40代独身としては見習うところがイッパイありそうですわ。