ナイトメア映画はこうでなくちゃ。「インセプション」

hiroc-fontana2010-08-17

 本ブログ、夏休み特別企画、連続エントリー第4弾です(笑)。
 先日「アリス・イン・ワンダーランド」のエントリーで、ナイトメア系の映画が大好き、というようなことを書いたばかりなんだけど、3ヵ月もしないうちにナイトメア映画の真打ちみたいな映画が公開になって、これは見逃せないわと勇んで観に行くことになったわけね。それが「インセプション」。
 これがまた、俺的にはとっても面白かったのよね。以下、ネタバレもありますのでご注意。
 オープニングシーンの、海岸に聳える不気味な城郭。ここからもう、悪夢が始まっているわけで、その映像に思わず引き込まれた俺。おまけにそのお城はすぐに崩壊しちゃったりして。あとはテレビCMでもおなじみの、ビル街の景色がグワ〜ンと空の向こうから折り曲がってくるシーンとか、ホテル内での無重力バトルシーンとか、果てはダリの抽象画のような無人の空想都市が出てきたりして、もう、ナイトメア映画好きにとっては舌なめずりするようなシーンが満載。
 レオ様やケン・ワタナベをお目当てに観に行った人は、この映画、きっとわけわかんなくてひどく退屈な映画に感じただろうし(実際、高齢のご夫婦(たぶんワタナベ目当て)が客席でちらほら目に付いたのだけど、映画が終わると彼らは一様にポカンとした表情で帰っていった)、レオやケンに与えられた役柄も演技派俳優が演じるに値する深みは足りなかったかもしれない。
 しかし、それをカバーして余りある映像美、練られたスクリプトがこの映画にはあったと思うのね。うん、それこそが本来の映画の醍醐味なんじゃないかなと思ったりするのだ。
 例えばリアルな演技で人間のリアルな感情を切り取って(美しく感動的に)表現する、というのももちろん映画の素晴らしさではあると思うけれど、その一方、この世にはありえないような空想の世界をリアルな映像で再現して見せる、というのはむしろ、映画(映像表現)でしか為し得ないものだと思うのね。だから、この映画こそホントーに映画らしい映画なのかもしれないと思えたのね。
 空想の世界の再現と言っても、先の「アリス」の場合は、あくまでもティム・バートン監督の頭の中の空想世界の再現だったように思う。
 その点、この「インセンプション」の空想世界は、海岸の古城、雪山頂上の病院、湾曲するビル群、無重力ホテルと、普段われわれがいかにも夢の中で遭遇しそうな(その意味でリアルな)空想世界が中心。だから余計にリアルにその映像世界に引き込まれるような気がしたのだ。どうせCG使うなら、そうこれこれ、こうじゃなくっちゃね!と思わず膝を叩きたくなったのよね。
 さて、ここからはひどく個人的な感想なのだけど、俺が子供の頃に大好きだったヒーロー物「ウルトラセブン」の中で、名作の誉れ高い放送があったのね。それが「第四惑星の悪夢」というタイトルの回で、地球防衛軍の宇宙船“ウルトラホーク”がとある見知らぬ惑星に迷い込んじゃう話。その惑星は驚くほど地球に似ていて、ウルトラホークの乗組員も最初は地球に着いたものと間違えるのだけど、実はその惑星はサイボークが人間を支配している恐ろしい惑星で・・みたいなストーリー。それで、その第四惑星の風景が、団地のようなものが整然と並んでいる未来都市なのだけど、なぜか人が誰もいなかったり、団地の向こうに不気味な月が四つも輝いていたり、テレビスタジオが実は人間の処刑場だったり、人間になりすましたサイボーグの親玉(ヒトラーのような格好をしている)が終始口の中でコロッコロッ・・と飴のようなものを転がしていたり、といったシュールな映像満載で、子供だった俺には本当に“悪夢”のように思えたのよね。で、その映像と「インセプション」の悪夢映像とが何となく似ているような気がしたのだ。
 閑話休題
 この映画、われわれ観客は主人公たちとともに、夢の中で夢を見て、またその夢の中でも夢を見て、という何層もの夢世界を泳いでいくことになる。おまけに、いま体験しているのが登場人物の誰の夢であるか?という問題も関わってくる多重構造になっていて、それをつかめるかつかめないかで、観客は振るいに掛けられてしまうのね。そして最後のシーンは、果たして現実なのか夢の中なのか、謎を残したまま終わる。そのあたりもまた、映画らしい映画。
 主人公としては設定に深みがないけれど、俳優としてのレオ様は渋さが増してそれはそれで魅力的。一方のケン渡辺は悪役としてもヒーローとしてもちょっと薄っぺらくて残念。一般的な映画批評としてはそんな感じもあるけれど、映像、そしてストーリーのインパクトという面ではhiroc-fontana的には久々のヒットだったわ。