つながること、の意味〜『ショートバス』

ショートバス [DVD]

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 人なんて、所詮は一本の“管”だ。って。それをず〜と前にどこかの雑誌のコラムか何かで読んで、とても印象に残っていたのね。
 あ〜そうかもな、って、それを俺が実体験で感じたのは、職場で受けた定期健康診断でのことなのね。胃カメラを飲まされて、ゲーゲーいいながらリアルタイムでカラダの内側を見せられたら、まさしくそれが“ゴムホース”の内側を見てるみたいだった、という衝撃。それともうひとつ、すきっ腹でバリウムを飲まされて、検査が終わってからものの15分で、そのまま白い液体がオシリから出てきたりしたもんだから、もうその二つの体験だけで「はい、わかりました、わたしは“ただの一本の管”です!」と認めざるを得なかったわけなのね。
 さて、話は変わるけれど、現代人は人間同士の「つながり」が希薄になった、みたいなことがよく言われるよね。この「つながり」って言葉、キレイに言えば「心の絆」とか「人間関係」とかを指すわけだけど、もう一方では、肉体的なつながり、って意味も勿論あるはず。
 何が言いたいかというと、その意味で、キスしたいとかセックスしたいとか、つまり肉体的につながりたいという欲求って、人間が「管」であるがゆえの性(さが)なのかもしれないな、ということ。つまりね、人間のカラダを一本の管と考えると、その管と管がつながると、長い1本の管になるわけ。その“つながって一本の長い管になりたい”ってことが、もしかしたら我々動物には本能的にインプットされていて、だからそれらの行為がとても気持ちイ〜(笑)ものに感じるのかな?なんてね。そんな風に思ったわけ。
 もちろんキスもセックスも不潔だからキライ!という人もいるけれど、俺はね、キスしたときのあのホワーンとする感覚、あれが大好きだからこんなことを思うわけでね。あの「あ〜この人とキスできてしあわせ↑」て思える瞬間はやっぱり、自分が「管」であることが自覚出来て初めて生まれる感覚なのかな〜って、何となく思うわけでね。。。
 はたしてネット社会に生きる現代人が、精神的に・肉体的に本当につながりが希薄なのか、というと必ずしもそうとは言い切れないけど、プロフや掲示板で手軽な出会いが可能になったぶん、本当に中身の濃い、長持ちする(笑)つながりっていうのは確かに減っているのかな?と。そんなことも感じたりして。
 さて、前置きだけで終わってしまいそうなカンジになってしまったので、そろそろ映画『ショートバス』の話。2006年のこの映画を最近DVDで観賞したのね。
 果たしてポルノか?芸術か?みたいに紹介されたとおり、確かにこの映画、万人にはオススメできない。悩みを抱える二組のカップルが主人公で、片やオーガズム未経験の恋愛カウンセラー、片や倦怠期を迎えたゲイカップルで、何せ、セックス場面は全て本番、おまけにゲイ俳優が多数出演のうえ、彼らが3Pまで披露しちゃう徹底振りで。おまけにフェラもあればおシリ舐めまであって、おそらくゲイに抵抗力のない人たちが観たらゲロゲロな場面の連続だろうと思う。(もちろん、ボカシも満載!)
 でもね、いざこれを観終わってみると、あらフシギ。なんだかね、とても温かい印象で、その上「ああ、早く(アノ人と)愛情込めたキスしたい!」なんて思わされちゃってる自分がいたりして。
 ショートバスというのは、夜な夜な世の中のハンパモンが集うNYの片隅のバーの名前で、そこが舞台でもあるわけなんだけど、ここではみんなが語らい、歌ったりする傍らで、キスしたり、セックスしたりしているわけ。それは確かに非日常のセカイではあるわけだけど、ちょっと視点をずらしてみると、そこから人間同士のコミュニケーション(つながり方)の一手段がキスであり、セックスでもある、という当り前の現実が見えてくるのね。そう、キスもセックスもたかが“管”でしかない人間がつながる方法のひとつでしかない、みたいなね。そしてそんな現実の前で、二組のカップルはセックスや何やら「カタチ」に囚われない深い部分での“つながり”を再確認していくことになる。そんなストーリー。クライマックスではバーのママ役のジャスティン・ボンドが停電した店内でローソクに囲まれて歌を歌うんだけど、これがすごく沁みるのね。途中からなぜかブラスバンドが乱入して強烈なカタルシスとともに大団円。
 人の温もりが恋しくなるこれからの季節、愛あるセックスを経験したことのあるゲイのあなただけに、オススメの映画(笑)。
ショートバス・オフィシャルサイト」 ←クレーアニメのようなNYの街がとにかくステキなので、観てみてください。